コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

藤原顕長 ふじわらの あきなが

2件 の用語解説(藤原顕長の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原顕長 ふじわらの-あきなが

1118-1167 平安時代後期の公卿(くぎょう)。
元永元年生まれ。藤原(葉室)顕隆(あきたか)の3男。母は源顕房の娘。保元(ほうげん)3年(1158)参議,のち権(ごんの)中納言。従二位にいたる。皇后宮権大夫,検非違使(けびいし)別当などを兼任した。八条中納言とよばれる。仁安(にんあん)2年10月18日死去。50歳。初名は頼教,のち顕教。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

藤原顕長

没年:仁安2.10.18(1167.12.1)
生年:元永1(1118)
平安後期の公卿。葉室家の祖権中納言藤原顕隆右大臣源顕房の娘の子。本名頼教,また顕教とも。八条北・堀河西に邸宅を有したことから,八条中納言と称される。白河院の有力近臣であった父顕隆の権勢に支えられて,紀伊,越中,三河,遠江 と受領を歴任,保元3(1158)年,参議となり,公卿に至る。以後,皇后宮権大夫・右兵衛督・使庁別当・左兵衛督を兼ね,長寛2(1164)年権中納言に昇り,右衛門督左衛門督を兼任。永万2(1166)年権中納言を辞す。歌人としても知られ,『新古今和歌集』に入集。日記を著したが,現在は散逸。

(上杉和彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

藤原顕長の関連キーワード小倉季種四納言葉室光雅藤原顕家(2)藤原顕頼藤原公通藤原光子藤原実行藤原雅長藤原宗家

今日のキーワード

平野美宇

卓球選手。2000年4月14日、静岡県生まれ、山梨県育ち。3歳で卓球を開始。07年に小学1年生で全日本選手権大会バンビの部優勝、09年に小学2年生で同大会ジュニアの部初出場を果たし、注目を集めた。13...

続きを読む

コトバンク for iPhone