朝日日本歴史人物事典 「藤原顕長」の解説
藤原顕長
生年:元永1(1118)
平安後期の公卿。葉室家の祖権中納言藤原顕隆と右大臣源顕房の娘の子。本名頼教,また顕教とも。八条北・堀河西に邸宅を有したことから,八条中納言と称される。白河院の有力近臣であった父顕隆の権勢に支えられて,紀伊,越中,三河,遠江 と受領を歴任,保元3(1158)年,参議となり,公卿に至る。以後,皇后宮権大夫・右兵衛督・使庁別当・左兵衛督を兼ね,長寛2(1164)年権中納言に昇り,右衛門督・左衛門督を兼任。永万2(1166)年権中納言を辞す。歌人としても知られ,『新古今和歌集』に入集。日記を著したが,現在は散逸。
(上杉和彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報