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騎士修道会 きししゅうどうかいOrdo religiosus et militaris; religious orders of knighthood

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

騎士修道会
きししゅうどうかい
Ordo religiosus et militaris; religious orders of knighthood

11世紀末以降,十字軍運動を契機に聖地巡礼者への施療,保護,武力による防衛などを目的として生れた修道会の総称。貴族出身の騎士と従士などを中心に,聖地をはじめ十字軍出征各地における病院の設立やイスラム教徒との戦闘などに活躍。

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百科事典マイペディアの解説

騎士修道会【きししゅうどうかい】

中世ヨーロッパの修道会として組織された騎士団。宗教騎士団とも。12世紀前半パレスティナで創設されたテンプル騎士団ヨハネ騎士団ドイツ騎士修道会が特に著名で,十字軍運動の盛りあがりとともに大きな力をもった。
→関連項目騎士

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世界大百科事典 第2版の解説

きししゅうどうかい【騎士修道会 ordre religieux de chevalerie[フランス]】

教皇の認可により修道会として組織された中世西欧の騎士団。会員は封建社会の騎士以上の階層から募集され,総会長・管区長以下修道会則に定める序列に編成される。創設の動機はシトー会クレルボー修道院ベルナールの書簡《新騎士団への賛辞》に見られる聖俗一致の理念の具体化にあり,〈肉体上の敵と戦う〉戦士の役割と,清貧・貞潔・従順の誓願を守り〈精神上の敵とも戦う〉修道士の務めとを同時に遂行する〈キリストの戦士〉を創出しようとするものであった。

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大辞林 第三版の解説

きししゅうどうかい【騎士修道会】

修道会として組織された中世ヨーロッパの騎士団。聖俗一致を目指し、十字軍の主戦力となった。ヨハネ騎士団・テンプル騎士団・ドイツ騎士団など。宗教騎士団。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

騎士修道会
きししゅうどうかい
military order

通称宗教騎士団または騎士団。十字軍時代に西欧キリスト教諸国で多数創設された宗教的、軍事的社団の総称。
 11、12世紀に修道制の革新的気運が高まり、他方、騎馬戦士の社会的役割が増大し、聖俗両界の指導的身分の結合を招き、修道騎士という新しいタイプの人間像が生まれた。会員は騎士以上の階層から採用され、修道会則の戒律に服し、王公身分に対応する総会長を上長として、封建社会の階層制に準ずる管区長、騎士団領主、修道院長などの管理組織をなし、12世紀末の最盛期には西欧各国から東欧、中近東諸地域にわたって数万か所の城館、所領を擁し、全会員は数十万人に達した。
 代表的なものにヨハネ(1113公認)、テンプル(1118公認)、ドイツ(1198公認)のいわゆる三大騎士修道会があり、いずれもキリスト教徒の聖地巡礼の保護を目的とし、信仰心の厚い遍歴騎士や修道士が創立者となり、同志を募って贖罪(しょくざい)的奉仕生活を奨励し、教皇の認可を受けて正規の修道会を創始したものである。「12世紀の精神」とよばれるシトー会クレルボー修道院長聖ベルナルドゥスは、『新しい騎士団への賛辞』の文中で、「肉体の力によって敵と戦うのみならず、精神の力によって悪(あ)しき魂と二重の戦いをする戦士たちが生んだまったく新しい制度である」とその理念を称賛している。第1回十字軍遠征(1096~99)の成功によって西欧社会に東方進出熱が流行し、騎士修道会は十字軍の主戦力を構成して現地に常駐するキリスト教徒防衛軍となった。[橋口倫介]

ヨハネ騎士修道会

11世紀末イタリアのアマルフィ商人の巡礼団救護所を起源とし、南フランスの修道士福者ジェラールがこれをエルサレムの病院に発展させ、教皇パスカリス2世の認可を得て修道会とした。第2回十字軍(1147~49)以来、テンプル騎士修道会とその功を競いながら多くの戦績をあげた。十字軍末期にはロードス島を占領して本拠を移し(1307~1522)、ロードス騎士修道会と改称して近代までオスマン・トルコ軍と戦い、さらに1530年以来マルタ島に退き、マルタ騎士修道会となって1798年まで存続した。[橋口倫介]

テンプル騎士修道会

フランスのシャンパーニュ騎士ユーグを創立者とし、エルサレムのソロモン神殿跡を本拠に、中近東各地に城塞(じょうさい)を築き、1291年アッカ陥落によってキプロス島に退く敗戦時まで、十字軍の主力として活躍した。西欧諸国にも莫大(ばくだい)な財産を有し、金融業を営み、フランス王家の財政を委託管理していた。1307年以後フランス王フィリップ4世の弾圧を被り、異端の嫌疑を受けて12年廃絶された。[橋口倫介]

ドイツ騎士修道会

チュートン騎士団ともいう。リューベックなどの巡礼病院を起源とし、中近東で十字軍に参加したのち、1226年以来東プロイセン地方の布教、開拓に主任務を切り替え、15世紀にスラブ人の反撃を受けるまで大規模なドイツ人植民地を経営した。
 このほか、イベリア諸国のレコンキスタ(国土回復戦争)の進展を軍事的、宗教的に支援したアルカンタラ(1156)、カラトラバ(1158)、アビス(1162)などの騎士修道会があった。[橋口倫介]

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世界大百科事典内の騎士修道会の言及

【騎士】より

…事実上は騎乗従軍しながらも叙任式を受けない者は,従士あるいは楯持ちと呼ばれて,一段階下の身分を形成した。騎士は団結して騎士団(あるいは騎士修道会)を結成する場合があった。十字軍の過程で生じたテンプル騎士団ヨハネ騎士団(その後身のマルタ騎士団),ドイツ騎士修道会はその代表的なものである。…

【十字軍】より

… しかし12世紀を迎えると,イスラム側は,モースルとアレッポに拠るザンギー朝(1127‐1222)の反撃が始まり,十字軍国家の北東部,北部の喪失が相次ぎ,その衝撃とともに西欧において高揚を続けていた〈十字軍運動〉,とくにクレルボー修道院の院長で当代きっての宗教家ベルナールの勧説による第2回十字軍(1147‐53)の企てが実現した。第1回十字軍の成功後まもなく騎士身分と修道士とを一身に兼ねる新しいタイプの社会的エリート集団が創造され,十字軍理念を高く掲げた〈騎士修道会〉を結成し,聖地の常備軍的性格の軍事力としてその後の十字軍に重要な役割を演ずることになる。フランス王ルイ7世,ドイツ王コンラート3世の遠征によるイスラム側ダマスクスへの攻撃(1148)は,喪失領土の回復戦略とはなり得ず,その敗退によってザンギー朝のヌール・アッディーンの下でのアレッポとダマスクスの同盟を許し,十字軍国家はシリア沿岸部の狭小な帯状地域に圧縮された。…

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