朝日日本歴史人物事典 「藤堂平助」の解説
藤堂平助
生年:弘化1(1844)
幕末維新期の新選組八番隊隊長,のちに御陵衛士。名は宜虎。藤堂高猷の落胤と永倉新八遺稿「同志連名記」にあるが確証はない。文久3(1863)年清河八郎らと上洛したときの最年少者で,芹沢鴨,近藤勇らと京都に残留した新選組草創期の一員。元治1年6月5日(1864年7月8日)の池田屋騒動で奮戦し,20両の褒賞金を受ける。同年近藤の江戸下りに随行し,伊東甲子太郎を勧誘。その伊東と共に,慶応3(1867)年3月10日御陵衛士となって新選組を分離,東山の月真院に移る。七条油小路で首領の伊東が殺され,その亡骸を引き取りに出かけた際,新選組の要撃にあって討死。
(釣洋一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報