藤堂平助(読み)とうどう・へいすけ

朝日日本歴史人物事典 「藤堂平助」の解説

藤堂平助

没年:慶応3.11.18(1867.12.13)
生年弘化1(1844)
幕末維新期の新選組八番隊隊長,のちに御陵衛士。名は宜虎。藤堂高猷落胤と永倉新八遺稿「同志連名記」にあるが確証はない。文久3(1863)年清河八郎らと上洛したときの最年少者で,芹沢鴨,近藤勇らと京都に残留した新選組草創期の一員。元治1年6月5日(1864年7月8日)の池田屋騒動で奮戦し,20両の褒賞金を受ける。同年近藤の江戸下りに随行し,伊東甲子太郎を勧誘。その伊東と共に,慶応3(1867)年3月10日御陵衛士となって新選組を分離,東山の月真院に移る。七条油小路で首領の伊東が殺され,その亡骸を引き取りに出かけた際,新選組の要撃にあって討死

(釣洋一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤堂平助」の解説

藤堂平助 とうどう-へいすけ

1844-1867 幕末の武士
弘化(こうか)元年生まれ。千葉周作北辰一刀流をまなぶ。新選組が創設されると副長助勤,八番隊組長。慶応3年伊東甲子太郎(きねたろう)とともに脱隊,御陵衛士となる。同年11月18日近藤勇により伊東が謀殺された際,現場へかけつけ新選組とたたかい討ち死に。24歳。伊勢(いせ)津藩主藤堂高猷(たかゆき)の落胤とも。江戸出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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