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千葉周作 ちばしゅうさく

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

千葉周作
ちばしゅうさく

[生]寛政5(1793).陸奥
[没]安政2(1855).12.10. 水戸
幕末の剣客。北辰一刀流の開祖。浅利又七郎の門に入り,のち別派を立てた。江戸神田お玉ヶ池に開いた玄武館道場が江戸三大道場一つとして繁栄,水戸藩馬廻役に登用された。

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デジタル大辞泉の解説

ちば‐しゅうさく〔‐シウサク〕【千葉周作】

[1794~1855]江戸後期の剣客。北辰一刀流の祖。陸奥(むつ)の人。字(あざな)は成政。江戸神田のお玉ヶ池に道場玄武館を開いた。のち、水戸藩弘道館師範。

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百科事典マイペディアの解説

千葉周作【ちばしゅうさく】

幕末の剣客。陸奥(むつ)国栗原(くりはら)郡の生れで,父も剣の使い手であった。15歳で下総(しもうさ)国松戸に移り,16歳で小野派一刀流浅利又七郎義信に入門。その後も修業を重ね,北辰一刀流を唱える。
→関連項目斎藤弥九郎

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

千葉周作 ちば-しゅうさく

1794-1856* 江戸時代後期の剣術家。
寛政6年1月1日生まれ。父から北辰夢想流をまなぶ。小野派一刀流の浅利又七郎に師事,江戸の宗家中西忠兵衛の門にはいり免許皆伝となる。北辰一刀流をとなえて道場玄武館を江戸日本橋にひらき,ついで神田お玉が池にうつす。のち常陸(ひたち)水戸藩主徳川斉昭(なりあき)につかえた。安政2年12月10日死去。62歳。陸奥(むつ)栗原郡(宮城県)出身。名は観。字(あざな)は成政。号は屠竜。
【格言など】夫(そ)れ剣は瞬息(しゅんそく)心気力一致

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朝日日本歴史人物事典の解説

千葉周作

没年:安政2.12.13(1856.1.20)
生年:寛政6(1794)
江戸後期の剣術家。北辰一刀流始祖。盛岡藩の馬医幸右衛門(浦山寿貞)の次子。幼にして父より剣の手ほどきを受け長じて浅利又七郎とその師中西忠兵衛に学ぶ。その小野派一刀流と祖父の北辰流を合わせて北辰一刀流を編み出す。諸国武者修行により他流と多くの試合に勝ち名声を揚げる。はじめ日本橋,のちに神田お玉ケ池に道場(玄武館)を開く。諸藩の子弟の修行のために寄宿舎を設け懇切な指導と卓抜した技で江戸3大道場の筆頭とされた。水戸藩主徳川斉昭の眷顧を受け剣術指範となり天保12(1841)年馬廻り格100石。その面前で重量のある舶載の大筒を軽々と扱いその膂力は列座を驚嘆させた。 嘉永期の浅草寺奉納額に記された門弟数3600名。門弟に著名剣客が多く桜田門外の変水戸浪士のほか薩摩の有村次左衛門。高弟に海保帆平,森要蔵など。終生政治的行動はせず一剣客に徹した。兄又右衛門は岡部藩(埼玉県)の剣術指南となり弟定吉は京橋桶町に道場を開き桶町千葉といわれ,その門下に坂本竜馬,伊東甲子太郎らが輩出した。定吉の娘さな子(竜馬の婚約者)も武芸に秀で「小千葉の小町娘」と呼ばれた。4子があり長男が岐蘇太郎,次男が栄次郎,3男道三郎,4男多門四郎。いずれも剣名高かったが早世した。武者修行時代の日記『剣術物語』のほか,著作に『剣術初心稽古心得』『剣術修業心得』があり,北辰一刀流の要諦は周作の書にある「夫剣者瞬息心気力一致」に尽きる。

(早乙女貢)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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江戸・東京人物辞典の解説

千葉周作

1794〜1855(寛政6〜安政2)【剣客】北辰一刀流の創始者。 合理的な指導法で、幕末に剣術ブームを起こした。剣客。陸奥国出身。北辰一刀流の祖。小野派一刀流を学び、北辰一刀流を創始、神田お玉ヶ池に道場を開く。精神主義を排し、合理的な教授法が人気を呼び、江戸に剣術ブームを起こした。後、水戸徳川家に剣術師範として仕えた。斎藤弥九郎桃井春蔵とともに幕末三剣客と呼ばれる

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デジタル大辞泉プラスの解説

千葉周作

山岡荘八の歴史小説。1952年刊行。

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世界大百科事典 第2版の解説

ちばしゅうさく【千葉周作】

1794‐1855(寛政6‐安政2)
幕末の剣客で,北辰一刀流の流祖。字は成政,号は屠竜。陸奥国栗原郡荒谷村(現,宮城県古川市)に獣医の次男として生まれ,15歳のとき江戸近郊の松戸に移り,16歳のとき小野派一刀流の浅利又七郎義信の門に学んだ。師の世話で旗本の喜多村石見守正秀に仕えるかたわら剣に精進し,宗家の中西忠兵衛子正(たねまさ)に入門,高柳又四郎,白井亨,寺田五郎右衛門など当代の名剣士とともに修業し,その非凡な才能に磨きをかけた。他流試合を通じて各流の長短得失を学んだ結果,伝統的な一刀流兵法にも改める点のあることを感じ,みずから創意工夫を加えて北辰一刀流をうち立てた。

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大辞林 第三版の解説

ちばしゅうさく【千葉周作】

1794~1855) 江戸末期の剣客。北辰一刀流の祖。名は成政。陸奥むつの人。神田お玉が池に、斎藤弥九郎の練兵館、桃井もものい春蔵の士学館とともに幕末三大道場である玄武館を開く。のち、水戸藩校弘道館の剣撃師範。幕末三剣士の一人。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

千葉周作
ちばしゅうさく
(1794―1855)

江戸末期の剣術家、北辰(ほくしん)一刀流の開祖。名は観(かん)、字(あざな)は成政(なりまさ)、屠龍(とりゅう)と号した。陸前国(宮城県)栗原(くりはら)郡花山(はなやま)村(同郡荒谷(あらや)村、気仙郡気仙村との説もある)の郷士、千葉忠左衛門成胤(幸右衛門成勝)の次男に生まれ、7、8歳のころから父について家伝の北辰流を習い、その偉才ぶりを発揮した。15歳のとき一家は江戸を目ざして出郷、水戸道中松戸宿(千葉県松戸市)に落ち着き、父は浦山寿貞(うらやまじゅてい)と号して馬医に、周作兄弟は同地出身の中西(なかにし)派一刀流の浅利又七郎義信(あさりまたしちろうよしのぶ)のもとに入門した。やがて非凡の才を認められて、江戸の宗家(そうけ)中西忠兵衛子正(つぐまさ)に学び、寺田宗有(てらだむねあり)、白井亨(しらいとおる)、高柳又四郎らの指導を受けて、修行3年で免許皆伝を許された。1820年(文政3)27歳のとき、北関東から東海地方への廻国(かいこく)修行を試み、各流各派の長短得失を知り、伝統的な一刀流兵法を改組する必要性を痛感し、22年北辰・一刀両流をあわせ、さらに創意を加えて北辰一刀流を標榜(ひょうぼう)し、日本橋品川町に道場を開き、玄武館(げんぶかん)と称した。
 その柔軟性に富んだ教授法と昇段制の簡略化など、優れた道場経営でたちまち人気を博し、門人が急増したため、1825年の秋には、神田お玉が池の儒者東条一堂(とうじょういちどう)の瑤池塾(ようちじゅく)に隣接する旗本某の屋敷を買い求めて移転した。さらに一堂の没後はこれを買収して、道場の規模を広げ、一族子弟門人中にも優れた剣客に恵まれて、玄武館は江戸町道場の随一とうたわれた。周作には4人の男子があり、長男奇蘇太郎(きそたろう)、次男栄次郎、三男道三郎、四男多門四郎のいずれも資質に恵まれたが、とくに栄次郎はすばらしい腕前の持ち主で、神道無念流練兵館(れんぺいかん)斎藤弥九郎(やくろう)の長男新太郎、鏡新明智(きょうしんめいち)流士学館桃井春蔵(もものいしゅんぞう)の養子直正(なおまさ)(4代)と並び称された。また実弟で玄武館を補佐した定吉も剣名が高かった。門人としては、海保帆平(かいほはんぺい)、井上八郎、大羽藤蔵(おおばとうぞう)、森要蔵(もりようぞう)、また水戸の渡辺清左衛門、小沢寅吉らが有名であった。幕末の清河八郎(きよかわはちろう)、坂本龍馬(りょうま)らも同門の出身である。[渡邉一郎]

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世界大百科事典内の千葉周作の言及

【北辰一刀流】より

…幕末に隆盛した剣術流派。流祖は千葉周作。周作は一刀流を中西忠兵衛子正(たねまさ)およびその門人浅利又七郎義信から学び,免許階級制や技術体系を近代的な形に改革して北辰一刀流とした。…

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