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新選組

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デジタル大辞泉プラスの解説

新選組

黒鉄ヒロシによる漫画作品。新選組発足から終焉までの集団人間劇をコミカルに描く描き下ろし作品。PHP研究所から1996年に全1巻で刊行された。文藝春秋漫画賞(1997年)受賞。

新選組

森村誠一の長編歴史小説。1992年刊行。

出典|小学館
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

新選組
しんせんぐみ

幕末期、江戸幕府が組織した浪士の武力団体。新撰組とも書く。幕府は、浪人の懐柔統制のため浪士組(248人)を組織し、上洛(じょうらく)する将軍徳川家茂(いえもち)の警衛として1863年(文久3)2月に江戸を出発させた。しかし上洛後、指導者の清河(きよかわ)八郎が尊攘(そんじょう)派と気脈を通じたため、幕府は彼らを東帰させた。このとき近藤勇(いさみ)、芹沢鴨(せりざわかも)らは京に残留、京都守護職松平容保(かたもり)の支配下に属し新選組を結成し、京の治安維持に努めた。芹沢は近藤によって同年9月18日に暗殺され、以後近藤(組長)、土方歳三(ひじかたとしぞう)(副長)が実権を握り、尊攘・討幕派の弾圧に活躍した。64年(元治1)6月5日の池田屋事件は有名である。烈風の日に京都御所の上手に火を放ち、天機伺候(しこう)のため尹宮(いんのみや)(朝彦親王)、松平容保が参内するのを待ってこれを襲撃し、朝廷を長州に迎えようという尊攘派の大陰謀があったといい、これを察知した新選組が、三条小橋の旅館を襲撃して手柄をたてた事件である。このころの隊士は50人ぐらいで、65年(慶応1)ころの最盛期には総勢約200人であった。
 池田屋事件以後、禁門の変(蛤御門(はまぐりごもん)の変)、石蔵屋事件、膳所(ぜぜ)藩の獄、長州藩訊問(じんもん)使についての広島出張、三条橋高札事件などに活躍した。1864年11月に新選組に参加した伊東甲子太郎(きねたろう)一派は、67年3月に新選組を分離し高台寺(こうだいじ)党を結成した。しかし、11月に伊東は新選組に暗殺され高台寺党は解散した。
 1868年1月3日の鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いでは副長土方が指揮をとったが、幕軍とともに新選組も敗れた。残った隊士は江戸に帰り、3月1日に甲陽鎮撫(こうようちんぶ)隊を結成し近藤はその隊長となった。5日に甲州(山梨県)勝沼で官軍と戦ったが敗れ、その後、下総(しもうさ)(千葉県)流山(ながれやま)で近藤は捕らわれ、4月25日武蔵(むさし)(東京都)板橋で斬首(ざんしゅ)された。近藤は、市中見廻(みまわ)りは本来の任務ではなく、外夷(がいい)攘払の先駆けとなる考えをもっていたが、幕府には攘夷(じょうい)の意志がなく、幕末の尊攘派と公武合体派の渦巻く争いのなかにあって、初志にもかかわらず洛中の警備に終始した。土方は、宇都宮、会津若松と転戦し、1869年(明治2)5月11日に箱館(はこだて)で戦死した。[小島政孝]
『平尾道雄著『新撰組史録』(1967・白竜社) ▽子母沢寛著『新選組始末記』(1973・講談社)』

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