藤岡文六(読み)フジオカ ブンロク

20世紀日本人名事典 「藤岡文六」の解説

藤岡 文六
フジオカ ブンロク

大正・昭和期の労働運動家



生年
明治25(1892)年3月15日

没年
昭和31(1956)年3月6日

出生地
長崎県北高来郡諫早村(現・諫早市)

学歴〔年〕
小学校中退

経歴
16歳で坑夫生活に入り田川炭坑などで働く。大正8年友愛会九州出張所の常任委員となり多くの争議に参加。9年の八幡製鉄所争議検挙され懲役1年執行猶予に処せられた。出所後は神戸に行き多くの争議に参加。15年日本労農党に参加し、総同盟を除名される。その後日本大衆党、全国労農大衆党などで中央執行委員を歴任。昭和7年国家社会主義を支持して中間派の戦列から離れ、日本国家社会党中央執行委員、愛国政治同盟総務委員などを歴任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤岡文六」の解説

藤岡文六 ふじおか-ぶんろく

1892-1956 大正-昭和時代の労働運動家。
明治25年3月15日生まれ。九州で炭鉱労働者となる。大正6年友愛会にはいり,9年の八幡製鉄所争議で検挙。日本労農党の結成を計画し,15年日本労働総同盟第2次分裂,日本労働組合同盟結成の中心人物となる。満州事変後は国家社会主義に転向した。昭和31年3月6日死去。63歳。長崎県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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