改訂新版 世界大百科事典 「八幡製鉄所争議」の意味・わかりやすい解説
八幡製鉄所争議 (やはたせいてつじょそうぎ)
1920年2~3月,北九州八幡の官営製鉄所(現業労働者2万3000人,現在の新日本製鉄八幡製鉄所)でおきた労働争議。川崎・三菱神戸造船所争議に次ぎ,第2次大戦前の日本で2番目に大規模な争議であった。第1次大戦期の物価上昇のもとで,製鉄所では1918年夏から賃上げを要求する動きがあったが,19年に浅原健三(1897-1967)が中心となって日本労友会を結成,翌20年友愛会八幡支部とともに賃上げ,労働時間短縮などを要求して2波のストライキに入った。製鉄所側は要求をすべて拒絶してロックアウトを実施,弾圧と労働者内部の離間工作をもって対応し,結局労働者側が〈敗北宣言〉を出して終結した。ただし争議直後に賃上げと労働時間8時間制が実現,また労資間の意思疎通機関が設けられた。浅原健三著《鎔鉱炉の火は消えたり》(1930)は,この争議を描いた作品として名高い。なお同書の影響から,俗説では溶鉱炉の火が消えたとされているが,正確には操業の中止で火が消えたわけではない。
執筆者:三宅 明正
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報