藤本保広(読み)フジモト ヤスヒロ

20世紀日本人名事典 「藤本保広」の解説

藤本 保広
フジモト ヤスヒロ

昭和期のナイフ製作者 藤本ナイフ製作所経営。



生年
昭和2(1927)年2月21日

没年
昭和62(1987)年5月21日

出身地
東京

経歴
13歳でナイフ工場弟子入りポケットナイフを作り続け、昭和27年に一本立ちした。54年ヨーロッパやアメリカの高級ナイフ“カスタムナイフ”と出合い、以来カスタムナイフ作り一筋。57年アメリカで開かれたナイフショーで、出品した高級ナイフが飛ぶように売れてから、カスタムナイフ製作者としての名が急速に高まり、その精巧さと手づくりの温かみが、内外のナイフ愛好家を惹きつけた。没後の62年10月、愛好家の強い要望もあって、代表作「百八丁出し(多徳ナイフ)」など約50本が、東京・日本橋で開かれたジャパン・ナイフ・ギルドショーに出品された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤本保広」の解説

藤本保広 ふじもと-やすひろ

1927-1987 昭和時代のナイフ職人。
昭和2年2月21日生まれ。13歳から工場ではたらき,昭和27年独立。カスタム(手作り)ナイフを製作,57年アメリカのショーに出品し,人気をよぶ。代表作は「百八丁出し(多徳ナイフ)」。昭和62年5月21日死去。60歳。東京出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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