日本大百科全書(ニッポニカ) 「ショー」の意味・わかりやすい解説
ショー(George Bernard Shaw)
しょー
George Bernard Shaw
(1856―1950)
イギリスの劇作家。また社会批評家として長い生涯にわたって警世の言を吐き続けた。7月26日、ダブリンに生まれる。20歳のころロンドンに出、会社員としての実務のかたわら5編の小説を書いたが、成功しなかった。経済、政治、社会問題に興味をもち、1884年設立されたフェビアン協会の一員となり、現実的な社会主義者として実践し、論じ続けた。そのころ演説の練習をしたのが、雄弁家ショーをつくるとともに、劇作家ショーの基礎準備ともなった。
1885年、ウィリアム・アーチャーの紹介によって、新聞、雑誌に書評、美術批評、音楽批評を書き始め、やがて『土曜評論』の劇評家として活躍した(1895~1898)。それはイギリス写実主義近代劇の胎動期で、彼は、当時の俳優専横の商業主義劇界に、虚飾の演劇に挑戦する「戯曲」の闘士として、また社会問題の提起者として登場し、まず『イプセン主義真髄』(1891)を書き、同年創立されてイプセンの『幽霊』を上演した独立劇場で、劇『男やもめの家』(1892)を発表した。貧民窟(くつ)で身を肥やす中産階級の実態を暴いたものだが、その後、戦争のロマンスを幻滅させ、「英雄」の正体を描いた『武器と人』(1894)、『運命の人』(1895)、『悪魔の弟子』(1897)、『シーザーとクレオパトラ』(1898)や、売春問題を扱った『ウォレン夫人の職業』(1893作、1902初演)、結婚と愛を扱った『キャンディダ』(1894)、資本主義経済の機構と宗教を論じた『バーバラ少佐』(1905)、政治を問題にした『ジョン・ブルの他の島』(1904)、『失恋の家』(1913~1916作、1920初演)、『御破算』(原題『アッピル・カート』1929)、政治と宗教を扱った『アンドロクレスと獅子(しし)』(1912)、『聖女ジョーン』(1923)などで、世間の常識を破り、俗説をつき、問題を提示したが、彼の哲学をもっともよく表したのは『人と超人』(1903)であろう。人間は、宇宙の「生命力」の働きを認識し、「創造的進化」に添うべきだとするその説は、さらに『メトセラへ帰れ』(1921)でも取り上げられている。それらの作品は、人にものを考えさせる喜劇であり、議論劇が多いが、鋭い喜劇感覚にあふれ、機知縦横で、その戯曲のことばはきわめて優れている。『失恋の家』は原子爆弾を予見するかのようで、以後の作品はやや象徴的で実験的な手法をとり、晩年の作品には奇想風のものが多かった。
劇作家、批評家、警世家としての彼への世評は極端に分かれた。ショーは結局宣伝家であり、「破壊的批評家」であって、彼の劇中人物は彼の代弁者にすぎない、という人もある。が、彼の問題劇は、その主張が認められて問題が過去のものになったあとも、舞台的生命があるのは、彼が単なる宣伝家でない証拠である。『聖女ジョーン』などは史劇として、舞台劇として至上のものであろう。そのほか映画として成功した作品も多く、その一つ『ピグマリオン』(1913)は、ミュージカル『マイ・フェア・レディ』となって世界中に流布した。もっともショーがこれを喜ぶかどうかは疑わしい。彼の思考や言辞はつねに逆説に満ちていた。いずれにしても、散文劇作家としてイギリス第一の位置は動かぬところであろう。1925年ノーベル文学賞受賞。1950年11月2日没。
[菅 泰男]
『中川龍一他訳『バーナード・ショー名作集』(1966・白水社)』▽『小津次郎訳『世界文学大系90 ウォレン夫人の職業』(1965・筑摩書房)』▽『ウォード著、菅泰男訳『ショウ』(1956・研究社出版)』▽『コリン・ウィルソン著、中村保男訳『バーナード・ショー』(1972・新潮社)』▽『大河内俊雄著『バーナード・ショーの劇』(1973・学書房出版)』
ショー(Sir William Napier Shaw)
しょー
Sir William Napier Shaw
(1854―1945)
イギリスの物理学者、気象学者。バーミンガムに生まれる。ケンブリッジ大学で物理学者マクスウェルの教えを受けた。1887年同大学の講師となる。1897年イギリス気象局に入り、1905年スコット(1833―1916)R.H.Scottの後を受け同局局長となった。局長の時代に若手の学者を同局に集め、沈滞していたイギリスの気象事業を改革し、気象学の研究を飛躍的に発展させた。たとえば局長就任後1年にしてレンプフェールドR.G.K.Lempfert(1875―1957)とともに発表した論文「地上気流の来歴」は気団論の先駆けとなった。1920年局長を退任し、イギリスで最初の気象学講座をロンドン大学で開いた(1920~1924)。短期間ではあったが藤原咲平(さくへい)はそこで教えを受け、彼の斡旋(あっせん)でイギリスの気象学雑誌に論文を発表している。1907~1923年には国際気象機関IMO(現在の世界気象機関WMOの前身)の会頭を務め、1915年にはサーの爵位を贈られた。物理学者としては電気分解、高温計の研究があるが、気象学の分野では『天気予報』(1923)、『空気とその流れ』(1923)、『大都市における煙』(1925)、『気象学便覧』Manual of Meteorology(全4冊・1926~1931)などの著作がある。1954年には生誕100年を記念して、ネイピア・ショー記念賞が英国気象協会Royal Meteorological Societyに設けられた。
[根本順吉]
ショー(Irwin Shaw)
しょー
Irwin Shaw
(1913―1984)
アメリカの劇作家、小説家。2月27日ニューヨーク市に生まれる。ブルックリン・カレッジ在学中から劇作を始め、反戦劇『死者を葬れ』(1936)、独裁制の脅威を警告する『良家の人々』(1939)ほか数編の作品によって、社会派の劇作家として認められるようになった。最初の長編小説『若き獅子(しし)たち』(1948)は、敵味方に分かれて殺し合うしかない3人の若い兵士の運命をたどる劇的構成で、第二次世界大戦の戦争体験が生んだ重要作品の一つとして評価される。以後、小説作品は、左翼思想の持ち主であるとして非難されマッカーシズムの圧力に苦しむラジオ声優を扱った『騒然たる放送界』(1951)、中年女性のロマンス『ルーシー・クラウン』(1956/邦訳名『湖畔の情事』)、中年男の悲哀をつづる回想記『夏の日の声』(1965)、話題作『リッチマン・プアマン』(1970/邦訳名『富めるもの貧しきもの』)などのほかに、数冊の短編集がある。
[齊藤忠利]
『佐伯彰一訳『湖畔の情事』(1959・三笠書房)』
ショー(Robert Shaw)
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Robert Shaw
(1916―1999)
アメリカの指揮者。ポモナ大学で学ぶ。初め合唱指揮者として奇才を発揮、1942~45年バークシャー音楽センター、46~50年ジュリアード音楽学校合唱団の指揮者を務め、その間48年に31人編成のロバート・ショー合唱団を創設、世界的に有名な職業合唱団に育てた。53年以後はオーケストラ指揮者としても活動を始め、アメリカ各地のオーケストラに客演、67年以来アトランタ交響楽団音楽監督。レコード録音も多く、バルトークのカンタータなどを収めた最新作は99年のグラミー賞最優秀クラシックアルバムの候補にあがった。合唱では短期間に効果的な訓練を施す手腕の持ち主だったショーも、オーケストラではそれに匹敵する実績をあげ得なかった。
[岩井宏之]
ショー(Richard Norman Shaw)
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Richard Norman Shaw
(1831―1912)
イギリスの建築家。エジンバラ生まれ。ロンドンの王立アカデミーで学んだのち、ストリート建築事務所に入り、実務経験を積んだ。独立後は多方面にわたる仕事を残したが、当時の流行であった華麗なゴシック復興に対して、むしろ簡潔なアン女王様式を主唱したことで知られる。ニュージーランド館(1872)、旧スワン邸(1876)が代表作。意外なものではニュー・スコットランド・ヤード(1890)もショーの作例の一つ。アーツ・アンド・クラフツ運動のなかで果たした役割も注目されつつあり、19世紀後半の代表的な建築家として、近年その評価はひときわ高い。ロンドンで没。
[宝木範義]