藤根村(読み)ふじねむら

日本歴史地名大系 「藤根村」の解説

藤根村
ふじねむら

[現在地名]和賀町藤根

長沼ながぬま村の北に位置し、和賀川北側の標高約一〇〇メートル前後の段丘に立地。鎌倉後期の和賀氏系図(鬼柳文書)に、行蓮(義行)の三男行仏(景行)が「桜岳野馬」ほかを譲られている。これを「北上市史」では当地桜岡さくらがおかに比定している。慶長一五年(一六一〇)九月二三日の南部利直知行宛行状(花巻本由緒文書)に「和賀郡之内藤根村ニ而百一石五斗三升」とみえ、藤根右近に与えている。元和五年(一六一九)二月二四日の南部利直知行宛行状(司東採集文書)では「藤根村二百三拾六石六斗三升二合」を長部刑部に与えている。正保国絵図に藤根村二三五石余とある。松岡好忠(八左衛門)は明暦二年(一六五六)竪川目たてかわめ猿田さるたで和賀川から揚水し、黒沢尻くろさわじり(現北上市)天神下てんじんしたまでの平堰開削を盛岡藩に出願、許可されて、以降一三年を要し堰の全長一万四五〇間に及ぶ松岡まつおか(猿田)堰を完成させた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報