コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

藤波言忠 ふじなみ ことただ

3件 の用語解説(藤波言忠の意味・用語解説を検索)

美術人名辞典の解説

藤波言忠

宮内官・子爵。京都生。明治天皇に近侍した。貴族院議員宮中顧問官等を務める。馬の鑑定に長じ、また和歌を好んだ。大正15年(1926)歿、75才。

出典|(株)思文閣
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤波言忠 ふじなみ-ことただ

1853-1926 明治-大正時代の華族。
嘉永(かえい)6年9月12日生まれ。広橋胤保(たねやす)の子。藤波教忠(のりただ)の養子。宮内省にはいり,明治12年侍従となる。17年子爵。馬の鑑定にくわしく主馬頭(しゅめのかみ)として御料牧場事業の監督にあたる。のち貴族院議員,宮中顧問官。大正15年5月23日死去。74歳。京都出身。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

藤波言忠

没年:大正15.5.23(1926)
生年:嘉永6.9.12(1853.10.14)
明治時代の華族(旧公家),子爵。明治天皇側近。京都生まれ。広橋胤保の子。藤波教忠の養子。天皇の学友として7,8歳のころより宮中に出仕した。明治7(1874)年1月宮内省9等出仕となり,天皇の講学に陪席した。12年12月侍従。馬に対しすぐれた鑑識眼があり,新冠牧馬場御用掛などを経て,18年7月には御厩制度等調査のため欧米に派遣された。22年7月より大正5(1916)年1月まで主馬頭を勤めた。また滞欧中オーストリアドイツ人学者スタインの講義を受け,帰国後明治20年11月より天皇,皇后に憲法学を進講している。37年宮中顧問官となった。<参考文献>渡辺幾治郎『明治天皇と輔弼の人々』

(西川誠)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の藤波言忠の言及

【藤波家】より

…大中臣清麻呂の嫡流の公家。代々神宮祭主と神祇大副を世襲した。はじめ岩出(いわで)と称したが,江戸初期の景忠のときより藤波を家号とするようになった。岩出,藤波ともに伊勢国度会(わたらい)郡の地名である。公家としての家格は半家で,江戸時代には家禄として173石を給せられた。維新の際,教忠(なりただ)は条約勅許に反対して中山忠能等の廷臣88卿と列参,上書して勅定案の改删を迫るなど国事に努めた。その子言忠は維新後,侍従に任じて明治天皇に近侍したほか,新冠(にいかつぷ)牧馬場および下総種畜場の御用掛となり,主馬頭を務め,また御厩制度の調査のため欧米に出張するなど,馬匹の飼養・改良などに大きな功績を残した。…

※「藤波言忠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

藤波言忠の関連キーワード旧華族公家華族新華族油小路隆董綾小路有良綾小路家政高辻修長錦織教久東園基愛平松時厚

今日のキーワード

ネコノミクス

猫が生み出す経済効果を指す造語。2012年に発足した安倍晋三内閣の経済政策「アベノミクス」にちなみ、経済が低迷する中でも猫に関連するビジネスが盛況で、大きな経済効果をもたらしていることを表現したもの。...

続きを読む

コトバンク for iPhone