藤田正明(読み)フジタ マサアキ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「藤田正明」の解説

藤田 正明
フジタ マサアキ


肩書
元・参院議長(自民党)

生年月日
大正11年1月3日

出生地
広島県広島市南区翠町

学歴
早稲田大学商学部〔昭和19年〕卒

経歴
昭和19年藤田組(現・フジタ)に入社。35年常務、37年副社長を経て、40年参院議員に初当選。大蔵政務次官、参院大蔵委員長、51年総理府総務長官兼沖縄開発庁長官、55年自民党参院幹事長を歴任、61年7月参院議長となる。63年9月病気のため辞任。当選4回。平成元年引退。トウショウボーイ馬主としても有名だった。

受賞
勲一等旭日大綬章〔平成4年〕

没年月日
平成8年5月27日

家族
父=藤田 定市(フジタ創業者) 兄=藤田 一暁(フジタ社長・会長) 長男=藤田 雄山(広島県知事) 二男=藤田 公康(極東工業社長)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「藤田正明」の解説

藤田 正明
フジタ マサアキ

昭和期の政治家 元・参院議長(自民党)。



生年
大正11(1922)年1月3日

没年
平成8(1996)年5月27日

出生地
広島県広島市南区翠町

学歴〔年〕
早稲田大学商学部〔昭和19年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲一等旭日大綬章〔平成4年〕

経歴
昭和19年藤田組(現・フジタ)に入社。35年常務、37年副社長を経て、40年参院議員に初当選。大蔵政務次官、参院大蔵委員長、51年総理府総務長官兼沖縄開発庁長官、55年自民党参院幹事長を歴任、61年7月参院議長となる。63年9月病気のため辞任。当選4回。平成元年引退。トウショウボーイの馬主としても有名だった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤田正明」の解説

藤田正明 ふじた-まさあき

1922-1996 昭和時代後期の政治家。
大正11年1月3日生まれ。藤田一暁(かずあき)の弟。昭和19年藤田組(現フジタ)にはいり,37年副社長。38年藤和不動産社長。40年参議院議員(当選4回,自民党)。総理府総務長官,党参議院議員会長をへて61年参議院議長となる。トウショウボーイの馬主としても知られた。平成8年5月27日死去。74歳。広島県出身。早大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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