朝日日本歴史人物事典 「藻寄行蔵」の解説
藻寄行蔵
生年:文化2(1805)
明治維新後,能登塩業を再興した地元の医師。能登(石川県)珠洲郡北方村生まれ。名は秀,字は子実,玄岳と号した。昌平黌で学び,のち京都で医学を修め,鳳至郡河原田郷里正,珠洲郡区長などを経て郷里で医業につく。加賀(金沢)藩の貸米制によって成り立っていた能登塩業が,廃藩後衰退し家族離散する者も増えた実情を憂い,七尾県に掛け合い,ついに大蔵省より5万余円の貸与を受け,これを能登国中の製塩者に分配して製塩を再開させた。利益は備蓄させて再び能登塩業を隆盛に導いた。明治20(1887)年に建てられた能登塩田再興碑にその事蹟が詳しい。<参考文献>『日本塩業大系史料篇』2巻
(廣山堯道)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報