日本歴史地名大系 「虎居村」の解説
虎居村
とらいむら
答
答院記」「宮之城記」には、長禄三年(一四五九)二月七日、平(渋谷)徳重の息女が侍女七人と虎居城西方の川内川の瀬で舟遊中全員が溺死し、その瀬は
天正八年(一五八〇)虎井など答院一二ヵ村が島津歳久領となった(島津歳久系図)。文禄元年(一五九二)歳久は豊臣秀吉の命で自刃させられ、同四年北郷長千代丸(忠能)に
答院が与えられた(北郷氏系図)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報