日本歴史地名大系 「答院」の解説
答院
けどういん
康治元年(永治二年、一一四二)三月一日の大前道助譲状案(答院記)に「薩摩国答院中津河名」とみえる。大前氏は在庁官人系の有力な在地領主で、その一族は川内川流域に勢力を張っていた。道助は大治六年(一一三一)には薩摩国在国司を称し(同年二月三〇日「薩摩国在国司大前道助請文案」東京大学国史研究室蔵後日之式条附収文書)、答院郡司として
宝治元年(一二四七)の宝治合戦で三浦氏が滅ぶと姻戚関係のあった当院地頭千葉秀胤は自刃し、旧領は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報