日本歴史地名大系 「蛤水道」の解説 蛤水道はまぐりすいどう 佐賀県:神埼郡東脊振村坂本村蛤水道[現在地名]東脊振村大字松隈鍋島直茂の家臣、成富兵庫茂安は関ヶ原の合戦直後より民政に手をつけ、筑後川の護岸工事とともに、元和年間(一六一五―二四)田手(たで)川の最上流蛤岳(八六三メートル)より西小川内(にしおがわち)を経て筑前側に流れている大野(おおの)川(那珂(なか)川)の水を田手川に流すため、溜池を設け、山腹を突き抜く約一千三〇〇メートルの水路をつくり、田手川の水量を豊かにして流域の灌漑用水とした。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
事典 日本の地域遺産 「蛤水道」の解説 蛤水道 (佐賀県神埼郡吉野ヶ里町)「選奨土木遺産」指定の地域遺産。元和年間(1615~1623)竣工。蛤岳からの水を佐賀藩側に導水するため成冨兵庫茂安(1560~1634)が築造した1260mの水路 出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報 Sponserd by