蜂須賀至鎮(読み)はちすか よししげ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「蜂須賀至鎮」の解説

蜂須賀至鎮 はちすか-よししげ

1586-1620 江戸時代前期の大名
天正(てんしょう)14年1月2日生まれ。蜂須賀家政長男豊臣秀吉につかえる。慶長5年(1600)関ケ原戦いでは徳川家康に味方し,同年阿波(あわ)徳島藩主蜂須賀家初代となる。17万6000石。大坂冬の陣の功により松平称号をゆるされ,夏の陣後,淡路(あわじ)を加増され,あわせて25万7000石を領した。元和(げんな)6年2月26日死去。35歳。幼名は千松丸。初名は豊雄。

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367日誕生日大事典 「蜂須賀至鎮」の解説

蜂須賀至鎮 (はちすかよししげ)

生年月日:1586年1月2日
江戸時代前期の大名
1620年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の蜂須賀至鎮の言及

【淡路国】より

…【小川 信】
【近世】
 1581年(天正9)織田信長の部将仙石秀久が入部,85年豊臣秀吉の四国平定後脇坂安治が3万3000石の洲本城主として,その伊予大洲移封後には,1610年(慶長15)池田輝政の三男忠雄が6万3000石領主として居城を紀淡海峡にのぞむ由良にかまえた。15年(元和1)池田忠雄が本家岡山藩主として転出,淡路は収公後,あらためて6万3000石余が徳島藩主蜂須賀至鎮(よししげ)に加封された。その後18年岩屋周辺1万7000石が加増され,以後淡路全島は蜂須賀氏の領するところとなった。…

【徳島藩】より

…阿波国(徳島県)名東郡徳島に藩庁を置いた外様大藩。1585年(天正13)蜂須賀家政が豊臣秀吉によって阿波一国(17万6000石)に封ぜられたのに始まる。1600年(慶長5)関ヶ原の戦では家政の子至鎮(よししげ)が東軍に属し,戦後徳川家康からあらためて阿波一国を与えられた。03年板野郡の赤松則房旧領1万石と毛利兵橘旧領1000石を加え,大坂の陣後,15年(元和1)には淡路国7万石余が加増されて,25万7000石の藩領域が確定し,廃藩置県まで持続した。…

※「蜂須賀至鎮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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