蜷川新(読み)ニナガワ アラタ

20世紀日本人名事典 「蜷川新」の解説

蜷川 新
ニナガワ アラタ

明治〜昭和期の国際法学者



生年
明治6年5月15日(1873年)

没年
昭和34(1959)年8月17日

出生地
静岡

学歴〔年〕
東京帝大法学部〔明治34年〕卒

学位〔年〕
法学博士(東京帝大)〔大正1年〕

経歴
大蔵省に勤め明治35年辞職、新聞記者となり、日露戦争に国際法顧問として従軍、以後韓国宮内府勤務。パリ留学後、同志社大学、駒沢大学各教授、日本赤十字社顧問、ジュネーブの赤十字社連盟理事を務め、ベルサイユ、ジュネーブなどの国際会議に列席。戦後公職追放。国際マーク・トウェン協会名誉会員。著書に「日本憲法とグナイスト談話」「列強外交政策」「ビスマルク」「維新前後の政争と小栗上野の死」「満州における帝国の権利」「天皇」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「蜷川新」の解説

蜷川新 にながわ-あらた

1873-1959 明治-昭和時代の法学者。
明治6年5月15日生まれ。日露戦争に国際法顧問として従軍,のち韓国宮内府に勤務。パリ留学後,同志社大,駒沢大の教授をつとめ国際法をおしえる。国家主義的言動により,戦後公職追放となった。昭和34年8月17日死去。86歳。静岡県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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