国際社会に適用される法。おもに国と国の間の関係を規律するが,最近は,国際機構や個人についても,限られた範囲において規律を及ぼすようになってきた。もっとも,注意しなければならないことは,国家間の関係および国家の対外関係を規律する法は国際法のみであるが,国際機構や個人を規律する法は,国際法に限られないということである。とりわけ,個人については,今日においても,第一義的には各国の国内法が規律するのであって,国際法が個人に規律を及ぼすのは,例外的な場合においてのみである。
国際社会は,しばしば力の支配する場であって,法の介在する余地はないように考えられている。しかし,現実に国際社会において力を行使する国家は,国際法を通じてその存在が認められ,領域,権限(主権),地位などが確定するものであるから,国際法を前提にしなければ国家の存在もまた存続もありえないといえる。つまり,根底においては,国際法が今日の国際社会の秩序の基礎を与えているということができる。また,戦争などの国家による力の行使は,交戦法規と呼ばれる一連の国際法の規律(たとえば,加害方法や加害対象の制限,捕虜や傷病兵に対する人道的取扱いなど)のもとに行われるのであって,けっして無法状態を意味するものではない。もっとも,国際社会は,国内社会のように統一的権力のもとで法が定立,施行されるものではないから,そこにおける法のあり方には,国内法秩序とは異なる面が多くあることも事実である。しかしそのことは,国際社会には法が存在しないとか,国際社会が無秩序状態にあるということを意味するものではない。国内法秩序とは異なる法秩序が,国際社会には存在していると見るべきである。今日,アメリカ,ソビエトのような軍事的超大国をはじめ,すべての国家が,国際法の存在を認め,それを前提に,対外政策を立て,実行しているという事実,とくに各国が自国の行動や立場を国際法の観点から正当化しようとしている事実は,このことをはっきりと裏づけるものである。また,今日では,国際連合などの国際機構の発達により,国際法の定立,執行の面である種の組織的基盤が与えられるようになってきている。
なお,国際法に類似した,あるいは関連した用語として〈国際私法〉と〈世界法〉がある。国際私法は,国内裁判所などにおいて,特定の渉外的事件に対してどの国(あるいは地域)の法律を適用すべきかが争われた場合に,その準拠法を決定するための規定をもつ法のことで,基本的には国内法(日本の場合は,1898年公布の〈法例〉)であって,国際法ではない。もっとも,最近は,各国の国際私法の規定を国際条約をとおして統一しようとする動きが出てきているので,国際法とのつながりも強くなってきている。世界法は,個人や企業などを,国家を介在させずに直接規律する法で,しかも,国家領域の枠を離れて,国際社会全体に普遍的に適用される法のことで,このような法が現に実定的に存在するかどうかについては争いがある。いずれにしても,主として国家間の関係を規律する法として形成されてきた国際法とは,概念上区別する必要がある。ただし,国際社会の組織化の進展に伴い,また,国際交流の活発化に伴い,普遍的に適用される法がしだいに形成され,また,各国の国内法が条約などを通じて内容的に統一されるようになってくると,世界法も単なる架空の概念として簡単にしりぞけることはできない。国際法の発展と深く結びついた概念としてとらえる必要がある。
国際法の成立については諸説がある。たとえば,古くは,メソポタミア,エジプト,ヒッタイト,バビロニアなどにおいて条約締結の事実が認められ,そこに国際法の起源を求める説がある。また,古代ギリシアやローマの都市国家間に行われていた条約締結や戦争,講和,外国人の処遇,仲裁裁判,外交使節の交換などに関する慣習的規則に国際法の起源を求める者もある。さらには,古代中国やインドにも国際法に似た規則や慣行が存在していたことを主張し,国際法の起源の一つに数える者もある。これらの法現象は,たしかに今日の国際法に類似する面をもっているが,法的にいえば,今日の国際法との間には法制度的連続性がないという意味において断絶があり,国際法の起源と考えることはできない。
今日の国際法の起源を,法制度的なつながりをよりどころにたどると,16,17世紀のヨーロッパに成立した近代国際社会にさかのぼることができる。それまでの中世ヨーロッパは,ローマ教皇の権威のもとに,キリスト教的統一社会を形成していた。また,各地には封建領主が政治的支配を確立していた。しかし,ルネサンスと宗教改革の進行によって,ローマ教皇のもとの教会の権威は失墜し,また,絶対王政の成立によって封建領主の支配力も王権のもとに統一された。こうして,ヨーロッパには,中世的秩序に代わり,絶対君主の支配するたがいに平等,独立の複数の国家が並存する近代国際社会が成立した。これらの国家の間には,しだいに,戦争,講和,外交関係,海洋秩序などに関する慣習法が形成され,これが近代国際法形成の基礎となった。また,この時代には,スペインのF.deビトリア,F.スアレス,イギリスにおけるA.ゲンティリス,J.セルデンなどの神学者,法律家が当時の慣行や神学の理論をもとに,国際法の理論を展開し,のちの国際法の体系化に大きく貢献した。もっとも,彼らの国際法理論は,実定法理論というよりは,神学や自然法の影響の強い,超越法的性格のものであった。
こうした先行する国家慣行や先駆的学者の活躍を土台にして,17世紀前半に,近代国際法は,その基礎を確立した。すなわち,理論上では,オランダのグロティウスが《自由海論》(1609)や《戦争と平和の法》(1625)などの著作を通じて国際法理論を体系化した。こうした業績により,グロティウスは〈国際法の父〉と呼ばれるようになった。また,制度の面では,三十年戦争を終結させたウェストファリア条約(1648)の締結によって,カトリック勢力とプロテスタント勢力の間,および諸国の間の休戦が合意され,おたがいに,領土と主権を尊重し,内政には干渉しないという了解が成立し,その後の国際秩序の基礎が形成された。この形成期の国際法は,基本的には,君主と君主の間の,主として政治的関係を規律する法として機能し,抽象的な国家と国家の間の法として認識されるようになるのは,18世紀に入って以後のことである。また,国際法の理論も,君主たちにも説得力をもつように,慣行のほかに,ローマ法,神学の理論,自然の摂理,哲人の教えなどが基礎とされ,〈国家間の合意による法〉という視点は未成熟であった。たとえば,戦争法の分野では神学の理論に基づく正戦論が主張され,また,広大な海洋の自然的性質から〈海洋自由の原則〉が主張された。また,領土取得に関しては,ローマ法の考え方を継承する先占の理論が有力であった。
18世紀に入ると,イギリスやフランスを中心に,市民革命と産業革命が進行し,これに伴って,人々の国境を越える活動が活発化した。また,ヨーロッパ諸国は,資源,労働力,市場,通商活動からの利益などを求めて,積極的にヨーロッパ外の地域に進出していった。こうした動きに応じて,国際法の適用領域も非ヨーロッパ地域に拡大され,また,取り扱う事項も,政治的なものに限られず,経済的なものも含むようになっていった。また,科学的思考の発達により,国家の慣行の集積によって形成された慣習法や国家間の明示の合意である条約に基礎を置く実定国際法体系が確立されるようになった。この時代に活躍した学者のうち,ドイツのS.プーフェンドルフは初期の自然法的国際法の理論を引き継ぐ形で国際法体系を発展させたが,ドイツのC.ウォルフ,E.deバッテル,G.F.vonマルテンスなどは,実定法の立場から,国家の合意に基礎を置く国際法体系を築いていった。
このような国際法の拡大と発達は,19世紀に入っていっそう顕著なものとなった。日本が黒船の来航によって250年に及んだ鎖国を排して開国に踏み切った19世紀半ばは,この国際法の発展期の最後の時期にあたる。
この時期は,ヨーロッパの先進諸国が資本主義の発達に伴い軍事力を背景として海外に進出していった時代で,戦争を国家目的実現の一手段とみる無差別戦争観が正戦論に代わって支配的になった(戦争)。また,戦争の際に中立国の商業活動を擁護するための中立法規も発達した。
19世紀の後半から20世紀にかけて,国際社会は大きな変容の時期を迎える。これに伴って,国際法体系も根底から変更を余儀なくされた。第1に,19世紀後半から,国際行政連合(万国電信連合,一般郵便連合,国際度量衡同盟など),国際連盟,国際連合としだいに国際的機構が発達した。これにより,国家間の関係のみを規律するものと観念されてきた国際法の規律対象が,国際機構にまでおし広げられた。第2に,戦争の違法化の動きがしだいに強くなり,無差別戦争観を超えた戦争規制の考えが支配的になり,戦争に関する国際法が大きく変容した。第3に,個人,企業,国内諸団体などが活発に国際的活動を行うようになり,これらの国家以外の行為主体を直接,間接に規律する国際法が発達した。また,この動きと並行して,人権擁護の国際法がしだいに整備されるようにもなった。第4に,第1次世界大戦後,ソビエト連邦という社会主義国が誕生し,伝統的国際法をさまざまの面で批判するようになった。この動きは,第2次世界大戦後,社会主義をとる国が増大するにつれて活発になり,国際法の諸規則がこうした批判をふまえて変更を余儀なくされた。第5に,第2次世界大戦前後から,これまで西欧先進国の植民地であったアジア,アフリカの諸国が独立し,これまで西欧先進国にとってつごうよくつくられてきた国際法を批判するようになり,こうした批判をとり入れて,国際法は大きな変容をとげつつある。最後に,第6点として,科学技術の急速な発達により,人類の活動領域が宇宙空間,深海海底,南極と拡大され,それに対応する新しい国際法規則がつくられるようになった。この科学技術の発達は,また,核兵器,公害産業,資源枯渇などの国境を越えて害悪を及ぼす問題を生み出した。今日,国際法は,こうした人類共通の問題に対応するように,諸規則を整備しつつある。
19世紀までの国際法は,国家間の法として定立され,国家のみを規律対象としてきた。しかし,19世紀後半から20世紀に入ると,国際行政連合,さらにはその発展形態としての国際機構(国際連盟,国際労働機関,国際連合など)の出現と発達によって,これらの国際的団体を規律対象に含めるようになった。これらの国際的団体,とくに国際機構は,単に受動的に国際法によって規律されるばかりではなく,能動的に条約を締結したり,慣習法形成に寄与するなど,国際法の定立にもかかわっている。その意味で,今日,国際法の主体を語る場合,伝統的な主体である国家に加えて,国際機構を国際法の主体に数えなくてはならなくなってきている。もっとも,国際機構の成立,地位,権限などは,国家間の条約や慣習法に依存しているから,国際機構の国際法主体性は,国家のそれに比べると,第二次的,派生的なものということができる。
なお,国際機構の発達にもかかわらず,ごく最近まで,国際法の主体を国家に限るとする伝統的立場を主張する有力な学説が存在した。とくに,かつてのソ連を中心とする社会主義諸国の学者は,伝統的国際法理論に基づく国家の主権を強く主張し,国家以外の組織体の国際法主体性を認めることには消極的であった。しかし,最近は,これらの学者も,例外的に,国際機構の設立文書である条約の認める範囲において,国際機構の国際法主体性を認めるようになってきた。
こうして,今日,国際機構を国際法の主体に加えることについては,異論はなくなりつつある。議論が分かれるのは,国際機構の主体性をどこまで認めるかという程度ないし範囲の問題においてである。ある学者は,設立条約に明文規定が存在する範囲において国際機構の主体性を認めるという制限的立場をとっている。別の学者は,およそ国際機構として設立された以上は,一般的にその国際法主体性が認められ,設立条約の規定に依存しないとする広い立場をとる。今日比較的多くの学者の支持を受けているのは,この二つの学説の中間的な考えで,設立条約に明文の根拠規定がなくても,その国際機構の目的実現に必要なものであれば,主体性を認めてもよいとする立場である。
国際法の主体に関しては,さらに,個人や企業,私的団体などの私人についても国際法主体性を認めようとする学説が有力に主張されている。これは,私人が国境を越えて活動することが一般的になってきた最近の状況を踏まえて,国際法が私人についてもさまざまの規定をもつようになってきたことをとらえて,私人の国際法主体性を主張するものである。具体的には,通商航海条約における私人に関する諸規定,人権に関する諸条約,第2次世界大戦後の戦争裁判などがその例としてあげられる。
このような,私人の国際法主体性を容認する立場に対しては,批判的な学説も少なくない。その根拠は,国際法が私人に関してなんらかの規定をしていても,それは国際法が私人を直接規律しているわけではなく,国家に対して個人の取扱いや処遇について規定しているのであって,私人に対しては,国際法はあくまで間接的に規律を及ぼしているにすぎない,というものである。たしかに,この私人の国際法主体を否定する学説のいうところにもかなりの妥当性はあるが,他方で,たとえばヨーロッパ人権条約や信託統治地域の住民の利益保護に関する国際連合憲章の規定のように,私人に関する規定を国際法が直接用意し,その履行に関して,国家を介さずに私人が直接救済を求めることが国際法上可能な場合が,例外的にではあるが出てきていることも事実である。そこで,限定的な場合を念頭に置いてではあるが,私人の国際法主体性を今日においてまったく否定することはできないといえよう。
もっとも,個人の国際法主体性を認めるといっても,それは,個人の受動的主体性を認めるのであって,国際法の定立に直接関与するという能動的主体性は,今のところ個人には認められていない。
国際法の規律内容は,戦争,外交関係などの伝統的な国家関係から,最近は,個人や国際機構の活動を含む事項にまで大きく広がってきている。国際法を規律内容の面から分類すると次のようになる。
まず,国際法は,大きく戦時法と平時法に分けられる。以前は,戦時法と平時法がほぼ同じくらいの比重で扱われたが,最近は,〈戦争の違法化〉の動きに伴い,戦時法の占める比重が小さくなってきている。
戦時法は戦争法ともいい,広くは,戦争に関する法すべてを含むが,普通は,戦時における交戦国や中立国の権利,義務を規定する戦時国際法jus in belloのみをさし,戦争を始めることが適法かどうかを定める法jus ad bellumは除外されることが多い。その場合は,戦争の当不当の問題は,平時法の中の紛争処理法の中で扱われることになる。この狭い意味の戦時法には,交戦国相互の戦闘の仕方や占領・講和などについて定める交戦法規と,交戦国と中立国の関係を定める中立法規が含まれる。
平時法には,戦争以外の平常の国家関係から生ずる事項を規律する国際法がすべて含まれる。外交官などの特権・免除を定める外交関係法,条約の締結手続や効力などについて定める条約法,国家の成立に関する国家承認法,国家の成立や消滅に伴って生ずる相続に関して規定する国家相続法,国家の不法行為などから生ずる責任の問題を扱う国家責任法,国家間の紛争処理手続を定める紛争処理法(国際裁判法を含む)のほか,領域を基準にして,国家領域法,海洋法,空法,宇宙法などの分野が存在する。また最近は,国際交流の活発化や科学技術の進歩に伴い,個々の機能分野を基準にして,国際労働法,国際通商法,国際刑事法,国際通信法,国際著作権法,国際工業所有権法,国際環境法などの新しい分野が出てきている。さらに,国際法上の個人の地位の向上を反映して,国際人権法および人道法,国際社会の組織化に伴い国際組織法などが存在する。
初期の国際法は,ローマ法,教会法,自然法,人間の理性など,超越法的思考の影響下にあった。しかし,18世紀,19世紀と時代が進むにしたがい,国家の慣行や国家間の合意を示す法文書に基礎を置く実定国際法体系が確立されていった。こうして国際法の成立の基礎を国家間の意思の合致に置く国際法理論が定着した。この考えは,〈合意は拘束する〉という意味の〈パクタ・スント・セルバンダpacta sunt servanda〉の原則を出発点とし,国家間の合意を明示のものと黙示のものとに分け,前者を条約,後者を慣習法(慣習国際法)として類別する。こうして,18世紀以降今日に至るまで,国際法の存在形態を条約と慣習法に限る考えが学説上も実定法上も通説となってきた。
条約は,〈二つ以上の国際法主体間の文書による合意〉を意味する。伝統的国際法の下では,この〈国際法主体〉は国家と同義であったが,19世紀後半以降の国際法の発展を踏まえて,今日では,国家のほかに国際機構も国際法主体に加える必要がある。つまり,国際機構が国家あるいは他の国際機構と締結する文書による合意も,今日では条約と考えられている。
条約には,日米安全保障条約のように〈条約treaty〉という呼称のついたものもあれば,協定agreement,憲章charter,規約covenant,規程statute,取極(とりきめ)arrangement,交換公文exchange of notes,議定書protocol,宣言declarationなどの異なった呼称のついたものもある。いずれも,国際法主体間の公式の文書による合意であれば,条約であることに変りはない。
慣習国際法は,国家の黙示の合意を意味し,具体的には,国家の慣行に法的信念が伴うとき,その存在が確認できる(国際慣行)。慣行の集積も法的信念の形成も,一定の時間の経過を必要とするので,慣習法の定立の時期を明確に知ることは難しい。またその規定内容も,厳密でない場合が少なくない。その意味では法の存在形態としては,条約に比べて問題が多い。しかし,主権国家の並存する国際社会においては,すべての国家に妥当する法を条約の形で定立することも容易ではない。そのために,国家責任論,国家相続,戦争法,海洋法,条約法,外交関係法など,どの分野をとっても一般法としての慣習国際法の果たしている役割は,今日においても非常に大きい。
ところで,今世紀に入ると,規定内容が厳密でない,あるいは,法の存在の立証が難しい,などの慣習国際法の欠点を克服するための法典化の試みがなされるようになった。その初期の代表的なものとして,1899年および1907年にハーグで署名された〈陸戦の法規慣例に関する条約〉(ハーグ陸戦条約)がある。その後,慣習国際法の法典化の試みは,国際連盟や国際連合を通じて組織的に行われるようになった。とくに国際連合においては,総会の補助機関である国際法委員会を通じて,法典化作業が積極的に推進されている。
国際法の存在形態としては,条約と慣習法に限るのが通説であるが,これらのほかに,〈文明国が認めた法の一般原則〉(単に〈法の一般原則〉ということもある),国際機構の決議,国際裁判判決などを国際法の存在形態としてあげる学説もある。しかし,これらのものは,国際法としての拘束性の根拠をたどると,結局,条約または慣習法に基礎があることがわかるので,独立した国際法の存在形態としては認められない,とするのが普通である。
初期の国際法においては,各国は君主制をとっていたために,国際法は,主として君主間の権利・義務を定めるものとして機能した。一般の人々はいずれかの君主の支配の下にあって,その生活はおおむね一国内で完結するものであった。そのために,国際法は,一般の人々の権利・義務関係を規律することはなく,またその必要もなかった。彼らの日常生活は,君主の支配の下に,国内法によって規律されていたのである。こうした状況においては,君主間の関係を規律する国際法と,一般の人々の生活を規律する国内法はお互いに接触する部分がなく,その相互の関係を問題にする必要もなかった。ところが18世紀,19世紀と時代が進むにつれて,国境を越えた人や物の往来がさかんになり,それに伴って国際法と国内法が相互に接触することが多くなってきた。たとえば,A国においては国内法上外国人の営業の自由が認められていないが,A-B間の通商条約には相互に相手国民の営業の自由を認める規定が存在するとする。その場合,A国にいるB国人に営業の自由を認めるべきかどうかという問題について,国際法と国内法の両方がかかわってくることになり,その相互関係が問題となるのである。こうした事情を背景に,19世紀ころから,国際法と国内法の関係の問題が,理論上も実際上も大きく取り上げられるようになった。
国際法と国内法の関係については,大きく分けて,国内法優位の一元論,二元論,国際法優位の一元論の三つの学説が対立している。
(1)国内法優位の一元論は,国際法と国内法が同一の法律関係に対して同時に規律を及ぼす場合,国内法を優越させる立場である。その根拠とするところは,法は国家の力を背景とする国民に対する命令であるから,国際法も法として国内関係に適用されるためには,国家によって国内法の形で国民に命令される必要がある,というものである。つまり,国際法が国内の私人に規律を及ぼす場合は,必ず国内法に依存しなければならないから,国際法は国内法に従属する,ということである。さらに,国内法優位の一元論は,条約締結が憲法に規定する手続に従って行われることを理由に,国際法の定立そのものも,国内法に依存していると主張する。(2)この立場に対し,二元論は,国際法と国内法はまったく別次元の法体系であって,相互に無関係であると主張する。二元論は,国際法と国内法は成立の基盤,規律対象,適用形態のいずれにおいても異なっており,同一平面上の法としてとらえることはできないと主張する。(3)また,国際法優位の一元論は,現実に同一事象に国際法と国内法が同時に関わる場合が存在し,両者の接触,調整の問題が生じている以上,国際法と国内法の関係を二元的にとらえることはできない,と主張する。さらにこの立場は,国際法否定につながるという理由で,国内法優位の一元論をも批判し,もっとも妥当な考え方は,国際法優位の一元論であると結論する。
これらの三つの立場のうち,国内法優位の一元論は,結局国際法否定論になるということで,今日では国際法学者の間に支持者はほとんどなく,二元論と国際法優位の一元論が有力説として対立している。最近は,国際関係においては国際法優位の一元論をとり,国内関係においては各国の憲法規定に従うとする新しい考え方が出されている。この立場によると,国内関係においては憲法規定を優先させているから国内法優位の一元論をとることになる。もっとも,日本,アメリカをはじめ,多くの国の憲法は,国内関係において国際法の遵守を規定し,通常の法律と同等かそれ以上の効力を国際法に認めているから,単純な国内法優位の一元論とはいえない。このように,国際法と国内法の関係を国際的場面と国内的場面に分けて論ずるということは,結局は二元論と同じ立場に立つことになる。しかし,この立場は,従来の二元論のように,国際法と国内法が接触することはまったくありえないとは考えずに,両者が同一事象に規律を及ぼすことがありうることを認めたうえで,両者の関係を国際レベルと国内レベルに分けて論じている。今日の実定法現象を素直に説明する理論としては,この最後の立場がもっとも妥当であろう。
国際法については,古くからその法的性質を否定する考えが存在した。そのひとつの根拠は,国際法に強制力が欠けているということである。たしかに,法は,単なる道徳律や倫理規範とは異なり,違反者に対して,外的・物理的強制力が加えられることによって有効性を確保しようとするところに特色がある。つまり法の本質は強制力にあるといってもよい。ところで,この強制力は,必ずしも中央権力によって集中的に行使される必要はない。未開社会や古い時代の法などにしばしば見られるように,分散化された,あるいは個別的な強制力(自力救済)であってかまわない。このように考えると,中央の統一権力機構を欠く国際法にも強制力が存在し,その意味で国際法はまさしく法であるといえる。
伝統的国際法においては,戦争あるいは復仇という形で強制力が存在した。戦争は,国家間の全面的武力衝突で,復仇は,限定された武力または武力以外の実力行使である。国際法の違反国に対しては,違反の程度により復仇あるいは戦争という形で外的強制力が加えられ,それによって国際法の遵守が確保されえたのである。しかし,この制度には,第1に,国際法違反の判断が主観的に行われる。第2に,大国の違反行為に対して小国が制裁を加えることは現実に難しい。第3に,国際法的に正しい側がつねに制裁措置に成功して,違反国を確実に処罰できるわけではない。第4に,制裁を加える国にも負担がかかる。第5に,この制度は大規模な武力衝突に発展する可能性があり,正義のために平和を犠牲にする危険性がある,などの問題がある。そこで,20世紀に入ると,さまざまの制度的改善が加えられ,伝統的国際法の強制力に内在する欠陥を克服する試みがなされるようになった。
その第1は,国際仲裁,司法裁判など,国際法違反の事実を客観的に判定する制度が発達したことである(国際裁判)。第2に,国際連盟や国際連合などの国際機構の発達により,限られた範囲においてであるが,国際法違反国に対して,組織的に対応する制度が用意されるようになったことである。第3に,国際関係において,経済や技術の占める地位が増大し,とくに,世界銀行(国際復興開発銀行),国際通貨基金などの国際経済機構の果たす役割が大きくなり,それに伴って,軍事力以外の強制力を組織的に行使することが可能になったことである。第4に,各国の憲法が国際法を国内的に適用する規定をもつようになり,国内的には,各国の国内法上の強制力のメカニズムによって,国際法の履行が確保されるようになったことである。
19世紀後半以降,さまざまの分野において国際機構(国際組織)が発達し,それに伴って,国際法にも基本的な変革が加えられつつある。国際法と国際機構の関係は密接に入り組んでおり,かつ相互的なものである。
まず第1に,国際法は,国際機構の出現と発達に大きな役割を果たした。すなわち,国際機構は,条約という形式の国際法によって直接設立され,その組織,権限,活動などに関するもっとも基本的な規定が,この設立条約によって与えられている。さらに,国際機構は,国際機構締結条約という国際法の拘束を受ける。たとえば,国際機構が本部所在国と結ぶ本部協定,国際連合が専門機関と結ぶ連携協定,世界銀行などの開発援助機関が発展途上の加盟国と結ぶ貸付協定などは,いずれも国際機構締結条約であり,国際法として,当該国際機構を拘束する。また,国際機構は,一般国際法上の主体として,慣習国際法の適用も受ける。たとえば,国際機構が条約を締結する場合,国際連合が軍事的活動に従事する場合などには,従来国家間の慣習法として発達してきた条約法や交戦法規などが,準用される。
第2に,国際機構もまた国際法に対して,重要な影響を与えている。すなわち,国際機構が新たな国際法上の行為主体として登場してきた結果,国際法の主体論に直接の影響を与えたが,問題はそこにとどまらず,国際法のさまざまの規則が国際機構にも適用されるようになった結果,条約,外交関係,戦争,国際責任,国家承認などの国際法のほとんどの分野において,必要な修正が行われなければならなくなった。また,国際機構は加盟国に対して一定の法的効果のある行為を行うが,それによって,加盟国の主権にいろいろの変化が生じてきている。たとえば,国際連盟や国際連合の設立によって,加盟国は,従来比較的自由にできた軍事的行動に大きな制約を受けるようになった。世界銀行や国際通貨基金の加盟国は,出資額に基づく加重表決制度のもとで,形式的な意味での主権平等の権利を享受できなくなった。また,国際連合や国際民間航空機関,世界保健機関などの加盟国は,多数決で成立した決議に,かりに反対の国であっても拘束される場合が出てきている。こうして,国際機構の出現によって,国家は,加盟国の地位にとどまる限りにおいて,国際法上基本的に認められてきた国家主権に大きな制約が加えられている。さらに,国際連合,国際労働機関などの国際機構は,国際法の法典化ないし新しいルールを盛り込んだ条約採択を通じて,国際法の発展にも大きく寄与している。
このように,今日,国際法を語る場合に国際機構の存在を無視することはできず,また,国際機構を語る場合には,国際法の意義を無視することはできなくなっている。
→国際組織
開国以来の近代日本のあゆみは,国際法と深くかかわっている。まず日本は,1853年(嘉永6)のペリー来航以後,欧米列強の軍事的圧力のもとで鎖国を解き,諸国と交際を始めるようになったが,その際,日本がとるべき行動の範囲は,ヨーロッパに発達した近代国際法(当時,日本では〈万国普遍の法〉〈万国公法〉などと呼ばれていた)のルールと,そのもとで結ばれた欧米諸国との間の通商条約(いわゆる不平等条約)によって規定されたのである。こうした国際法の枠の中で,日本は明治維新以後,大日本帝国憲法をはじめ各種の法令を整備し,近代的な国家機構を確立していったのである。幕末から明治初期にかけて,日本は西周,津田真道などの留学生をヨーロッパに派遣し国際法を学ばせたが,このことは,当時の日本において,いかに国際法が国益を左右する重要なものとして考えられていたかを物語っている。
明治政府がまず最初に解決しなければならないとされた最大の外交案件は,不平等条約の改正という国際法上の問題であった。日本が1850年代にアメリカ,ロシア,オランダ,イギリス,フランスなどの列強と結んだ修好通商条約は,形式的には日本を対等な条約当事国として扱うものであったが,実質的には,最恵国条項,関税主権の制限,領事裁判権による日本の裁判権の制限,外国人のための居留地設定など,日本に不利な内容のものであった。これは,当時の日本と欧米列強との力関係を反映するものであると同時に,欧米諸国のいう国際法や条約に対する日本側の理解や知識の欠如によるところも少なからずあった。しかし,その後,日本は留学生の学んできた国際法の知識を生かし,国力をつけ,90年代には,不平等条約が次々改正された。
その後,日本は,日清戦争,日露戦争,第1次世界大戦という大きな戦争を経験し,戦時国際法,講和に関する国際法などをみずから体験することになった。また,ロシアとの間の領土画定のための条約や韓国との間の保護条約から併合条約に至る一連の条約を通じて,領土問題や植民地に関する国際法も経験した。この間の日本の国際法への対応のしかたは,すでに西欧諸国の間で発達した国際法体系をそのまま受容し遵守するという受動的なもので,ロシア革命後のソビエトや最近独立した新興諸国のような,不都合な国際法規定を変革しようとする能動的対応と比べると,非常に対照的である。もっとも,このあと日本は,1930年代にはいって軍国主義の高まりとともに,西欧で発達した国際法を否定する態度をとったが,この立場は敗戦によって否定されることになる。
その後の日本にとって,もっとも重要な国際法上の体験は,第2次世界大戦とその敗戦,およびそれに続く占領である。この時期に日本は,交戦法規,捕虜の処遇,民間人の大量殺りく,原爆被爆,戦争裁判と戦争犯罪人の処罰,戦時賠償,講和条約など多くの国際法上の問題を経験し,その中には,今日もまだ未解決の問題が残っている。また,第2次世界大戦後,日本は,占領軍の指揮の下で,憲法はじめ,政治,経済,教育などあらゆる分野にわたる制度改革を行ったが,これも,ポツダム宣言,降伏文書という一連の国際法文書がその出発点となっている。
執筆者:横田 洋三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
国際公法ともいう。明治期までは万国公法ともよばれた。国家間の法あるいは国際社会の法である。
古代のメソポタミア、エジプト、ギリシア、インド、中国などにも国際法に類似した規範が部分的に行われていたといわれるが、しかしそれらは現在の国際法と歴史的なつながりをもっているわけではない。国際法が法体系として構築されるためには、各国の領域に排他的統治権が確立され、外の権力すなわちローマ法王や神聖ローマ皇帝の干渉に対して独立した、いわゆる「主権国家」の並存というヨーロッパ国家系の成立が必要であった。1648年のウェストファリア会議は、このような国家系の成立を条約上で確認したものであり、国際法がヨーロッパ社会に成立する状況を告知するものであった。16世紀から18世紀に至る時期は「国際法学の英雄時代」といわれ、グロティウスに代表される多くの優れた理論家が輩出し、国際法の体系化に寄与した。もっとも、当時の国際法はヨーロッパのキリスト教国の範囲に妥当した「ヨーロッパ公法」であったが、18世紀末から19世紀にかけてアメリカ大陸の諸国が独立して国際法団体に入り、さらに19世紀中ごろ以後、トルコや中国、日本さらにリベリアなど一部の近東・アジア・アフリカ諸国も、不平等条約を負いながらも、国際法の妥当する国際社会の一員となった。現在では、社会主義諸国、植民地から独立した新興諸国も加わり、国際法は普遍的な国際社会の法となっている。
[石本泰雄]
しかし、国際法は、法とはいっても国内法とはさまざまの点で構造的な差異をもつことは否定できない。第一に、国際社会には、国家のなかの議会に相当するような統一的な立法機関は存在していない。そのため、国際法の存在形態(法源)も、国内法とは異なり、すべての国家を拘束する国際法に関しては、それは慣習国際法の形態でしか存在しない。これに対し、条約は合意の当事国だけにしか拘束力は及ばない。その結果、国際社会全体の利益を目ざす法の定立は、きわめて困難であるか、またはかなりの時間を要することになる。
第二に、国際社会には、法の適用のための裁判機関が欠けている。もっとも、現在では国際連合の主要な司法機関として国際司法裁判所が設けられており、かつ、この裁判所はあらゆる国家間の紛争解決のために開放されている。しかし、それは、国内の裁判所とは異なり、当事国の合意がなければ裁判をすることはできない。裁判条約や裁判条項であらかじめ合意されているか、または事件を裁判所に付託する際に合意がなされるか、いずれにしても当事国の合意がなければ、裁判所に管轄権はない。その結果、国際法に関係する紛争でも、それがつねに裁判所の判断に服するとは限らないことになり、当事国の間に事実の有無や法の解釈について果てしのない水掛け論が繰り返されたり、そうでなければ力づくで一方の主張が通されたりするおそれがある。
第三に、国際社会には法の執行機関が欠けている。国家の場合には、警察や軍隊があって、犯罪を防止し秩序を維持し、裁判所の判決も実効的に執行することができる。それに反して国際社会には、統一的な権力的機関は存在せず、国際法を実効的に執行する制度が欠けている。もちろん、侵略戦争に対して国際連合が防止措置や強制措置をとる制度はあるが、それもその実効性については保証がない。のみならず、侵略戦争に対する制裁は、かならずしも国際法一般の違反に対する制裁であるとはいえない。
[石本泰雄]
国際法には、このような脆弱(ぜいじゃく)性が内包されているため、ときとして国際法は法としての性質をもたないと評されることがある。しかし、それにもかかわらず、国際社会に国際法という社会規範が存在し、それが法として観念されてきたことは疑問の余地のない経験的事実である。国際法は国内法の発達よりは遅れて成立し、国内法、とくに私法の論理や概念を転用しつつ構成されてきた。私法が、すべての人の法的主体性、すべての財貨に対する私的所有権、合意すなわち契約の拘束性をそれぞれ承認することを基本的原理とするのと照応して、国際法は、すべての国家の法的主体性、すべての国民および領域に対する国家の統治権、合意すなわち条約の拘束性をそれぞれ承認することを基本的原理としている。国内法の類推を基礎に国際法の規範内容が体系化されていることが、国際法を国内法と同じく法として観念させてきた要因とみてよい。
19世紀に入り、産業革命を経て、国民経済間の商品取引、資本輸出が増大し、交通・通信手段も発達するにつれて、国際法の必要性を規定する国際相互依存関係は緊密化の一途をたどった。もっとも基本的な条約としての通商航海条約をはじめ、領事関係、犯罪人引渡し、郵便、電信、鉄道、著作権、工業所有権などを規制する無数の条約が締結され、国際法の内容を豊富にしてきた。このような国際法の展開過程はそれ自体とどまるところを知らない。とりわけ最近の科学技術の発達は国際法の規制対象をいっそう拡大し複雑化している。こうして現在われわれの生活関係の多くが、国内法によってのみならず、条約によっても規制されるに至っている。
[石本泰雄]
国際相互依存関係は、国際法の成立の基礎条件ではあったが、同時に国家間の対立関係は、国際法における戦争の法的地位に反映せざるをえなかった。すなわち、第一次世界大戦以前の国際法にあっては、戦争に際して適用される個別的な規則、たとえば砲撃、傷病兵の取扱い、捕虜、占領などのような規則は確立していたが、戦争そのものを実行する国家の行為については、まったく放任し、法的規制の対象としなかった。いわば戦争は、国際社会における決闘として認められ、いずれの国家の大義を認めるかを決する最後の手段とされてきた。しかし、第一次世界大戦後は、このような戦争の地位を否定し、侵略戦争すなわち攻撃戦争を違法化する一般的な条約が結ばれてきた。国際連盟規約、不戦条約、国際連合憲章はその代表的な例である。今日では侵略戦争の違法性は、世界のすべての国によって法的に確信されているといってよい。このような戦争の違法化現象は、古典的国際法から現代国際法への転換の軸をなしていると思われる。これを軸として、紛争の平和的解決や集団安全保障の制度化、さらに一般的平和機構(とくに国連)の設立がもたらされたのである。
[石本泰雄]
しかし、現代国際法への転換は、かならずしも戦争の法的地位の変化だけに尽きるのではない。かつて国際法は、相互に平等で主権的な国家を法の主体としていた。このような国家は全地球からみれば面積にしろ人口にしろ一小部分にすぎず、他の大部分の地域は植民地として国際法の客体の地位に置かれていた。しかし第二次世界大戦後、これらの地域の住民の自覚と闘争によって、政治的独立が次々と獲得され、人民の自決権は国際法のうえでも不動の原理として確認されるに至った。そこから出発して、従来先進国の軍事的・経済的な力によって形成されてきた旧秩序にかわって、新国際経済秩序の樹立が現実的日程に上り、国際法は内容的にも変容の時期を迎えている。国際法は、将来にわたって侵略戦争を否定するのみならず、過去にさかのぼって力によって形成された不平等秩序を再編し復原することを課題として担っているのである。
[石本泰雄]
『田畑茂二郎著『国際法Ⅰ』新版(『法律学全集55』所収・1973・有斐閣)』▽『横田喜三郎著『国際法Ⅱ』新版(『法律学全集56』所収・1972・有斐閣)』▽『田岡良一著『国際法Ⅲ』新版(『法律学全集57』所収・1973・有斐閣)』▽『高野雄一著『新版国際法概論』上下(1969、72・弘文堂)』▽『田畑茂二郎著『国際法講義』上下(1980・有信堂高文社)』▽『小田滋・石本泰雄・寺沢一編『現代国際法』(1971・有斐閣)』
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国際社会の法。国際法には,不文法の国際慣習法と成文法の条約がある。国際法は,近代国際社会の歴史的所産であるが,当初,神学者,法学者,哲学者などグロティウスをはじめとする国際法学の英雄といわれる人たちが,国家間にも法が必要であることを説き,その内容をローマ法や自然法をもとに理論,学説として表した。これを当時の絶対君主たちが受け入れ,国家間の調整を行う国家実行を重ね,近代主権国家の形成と相まって,ヨーロッパにおいて国際慣習法が実定法として形成され,その体系が19世紀にはほぼ完成し,アジアにも広がった。20世紀に入り,国際法は,それまで合法としていた戦争を違法なものとし,その基本的構造を大きく変換した。19世紀までの国際法を伝統的国際法,20世紀以降の国際法を現代国際法と呼ぶゆえんである。現代国際法の特徴は,国際社会の全体利益を基軸としながら主権国家の主張を抑制,調整することにある。国際法は,今日,国家のみならず,国際組織や個人をも規律の対象とする。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…第1次大戦前のイギリスの代表的国際法学者。ドイツに生まれ,ドイツの諸大学で法学を教え主に刑法に関心をもったが,1895年イギリスに移住,以来国際法に専念,1908年からケンブリッジ大学でJ.ウェストレーク教授の講座を継いだ。…
※「国際法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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