朝日日本歴史人物事典 「蟹養斎」の解説
蟹養斎
生年:宝永2(1705)
江戸時代中期の崎門派の儒者。名は維安,養斎は号。安芸(広島県)の人。幼時に名古屋にきて尾張(名古屋)藩士布施氏の養子となる。三宅尚斎に朱子学を学んだのち,名古屋で私塾を開いて教化に携わり,尾張藩から5人扶持を給せられた。尾張藩の保護を受けて新たに巾下学問所を開いたが,経営難に陥って閉鎖し,伊勢(三重県)桑名へ去った。各地を転々として伊勢浦田で病没。道学に任じて実践躬行を尊び,異端異学を排斥し,儒教的喪祭の定着をはかった。<著作>『易学啓蒙国字解』『火葬弁』『士庶喪祭考』『弁復古』<参考文献>『尾藩世紀』(名古屋叢書3編)
(高橋文博)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報