江戸中期の儒者。名は重固(しげもと)、字(あざな)は実操。播磨(はりま)国明石(あかし)(兵庫県明石市)の人。山崎闇斎(やまざきあんさい)の門にあって、佐藤直方(さとうなおかた)、浅見絅斎(あさみけいさい)とともに崎門(きもん)の三傑といわれた。武蔵(むさし)国忍(おし)の阿部家に仕官したが直言したために幽囚された。のち京都に塾を開き、経書講釈に優れ、久米訂斎(くめていさい)(1699―1784)、石王塞軒(いしおうさいけん)(1701―1780)、蟹養斎(かにようさい)(1705―1778)など多数の門人を擁し、一大学派を形成した。元文(げんぶん)6年1月29日没、80歳。京都新黒谷紫雲山(金戒光明寺)に葬られる。著述はすこぶる多く、『為学要説(いがくようせつ)』1巻、『祭祀来格(さいしらいかく)説』1巻、『黙識録』6巻(以上『日本倫理彙(い)編』所収)、『狼疐録(ろうちろく)』3巻(『甘雨亭叢書(そうしょ)』所収)、『養子弁証附録』1巻(『日本儒林双書』所収)、『為後称呼説』1巻(『日本儒林双書』所収)などは刊本がある。
[平 重道 2016年7月19日]
『池上幸二郎著『三宅尚斎先生事略』(『山崎闇斎と其その門流』所収・1943・明治書房)』▽『平重道著『三宅尚斎の神道批判と鬼神来格思想』(『近世日本思想史研究』所収・1969・吉川弘文館)』
江戸中期の儒者。名は重固。播磨国明石の人。山崎闇斎の門人で,佐藤直方,浅見絅斎(けいさい)とともに崎門三傑といわれた。武州忍(おし)藩主阿部家に仕官したが,直諫して藩主の怒にふれ幽囚された。後に京都で塾を開き,経書釈講にすぐれ,多数の門人を養成した。刊行された著書は《黙識録》(《日本倫理彙編》所収),《狼疐録(ろうちろく)》(《甘雨亭叢書》所収),《養子弁証附録》《同姓為後称呼説》(《日本儒林叢書》所収)等。
執筆者:平 重道
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