衝原村(読み)つくはらむら

日本歴史地名大系 「衝原村」の解説

衝原村
つくはらむら

[現在地名]北区山田町衝原やまだちようつくはら

志染しじみ(山田川)上流に位置し、近世八部やたべ丹生山田たんじようやまだ庄のうち。西は播磨国境集落は川沿いに上衝原・下衝原にやや離れて存在し、慶長国絵図にも二ヵ所に衝原村の記載があり、高一九〇石余。村高はその後もあまり変わらず、享保二〇年(一七三五)摂河泉石高調に一石余の新開が計上されている。初め幕府領、正徳二年(一七一二)以後下総古河藩領(兵庫史学)。元禄一六年(一七〇三)の家数三〇(「山田十三ヶ村在家之覚」山田郷土誌)、嘉永五年(一八五二)の家数三九・人数二〇七、牛二三(「宗門人別改帳断簡」箱木家文書)水車の引水にかかる約定書(柚垣家文書)などから幕末期に少なくとも一両の水車が架設され、また播磨美嚢みなぎ郡からの出稼人力油絞り業者の原料綿実買入れにかかわる文化二年(一八〇五)の下済一札(同文書)などから絞油業が行われていたことがうかがえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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