日本歴史地名大系 「西ヶ原村」の解説 西ヶ原村にしがはらむら 東京都:北区西ヶ原村[現在地名]北区西ヶ原一―四丁目・栄町(さかえちよう)・中里(なかざと)二丁目滝野川(たきのがわ)村の東にあり、南は巣鴨(すがも)村(現豊島区)。日光御成道が南東から北西に通り、北部に一里塚(国指定史跡)があった。北条氏所領役帳に江戸衆太田康資(新六郎)の同心平塚藤左衛門の所領として「平塚内西原」二〇貫文とみえる。これによって当地が平塚(ひらつか)郷を構成する四ヵ村の一つであったことが知られる。田園簿に西ヶ原村とあり、田一一一石余・畑一〇七石余。旗本木村領九石余・同山川領七六石余・幕府領七八石余と深川雲光(うんこう)院領五〇石、本所法恩(ほうおん)寺領五石。 西ヶ原村にしがはらむら 富山県:婦負郡八尾町西ヶ原村[現在地名]八尾町西ヶ原田頭(たのかしら)村の南方、大長谷(おおながたに)川上流左岸にある。飛州二ッ屋村(ひしゆうふたつやむら)道が通る。元禄一一年(一六九八)の郷村高辻帳では内名(うちみよう)村の一三町ほど南にある枝村新田としてみえ、高三八石。幕末の高も変わらず免二ツ一歩(古高免小物成銀等書上)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by