西の丸(読み)ニシノマル

デジタル大辞泉 「西の丸」の意味・読み・例文・類語

にし‐の‐まる【西の丸】

城の中心部本丸に対し、その西側にある一郭
江戸城本丸の南西方の一郭。将軍世子居所、また、将軍の隠居所

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精選版 日本国語大辞典 「西の丸」の意味・読み・例文・類語

にし【西】 の 丸(まる)

  1. 城郭の一部で、本丸の西方にある一郭をいう。本丸に対する西丸
    1. [初出の実例]「城主入道謙忠は西の丸穴門の内一段底き地に陣を打」(出典:松隣夜話(1647頃)上)
  2. 江戸城の一郭。本丸の西南方にある。文祿元年(一五九二創建。将軍隠居所・世子居所として使用。明治維新後、皇居となった。
    1. [初出の実例]「日影も西(ニシ)の丸にかたふくに驚き」(出典浮世草子好色一代女(1686)四)

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日本歴史地名大系 「西の丸」の解説

西の丸
にしのまる

徳島城西方の曲輪で藩主の隠居屋敷が置かれた。藩祖蜂須賀家政(蓬庵)が初めて居を構えたことから蓬庵ほうあん屋敷ともいった。蓬庵は元和六年二月に嫡男で初代藩主の至鎮が死去したため、幕府から一〇歳で蜂須賀家の家督を相続した孫の忠英の後見役を命ぜられて、同年四月中田ちゆうでん(現小松島市)の隠居所から西の丸屋敷に移り住み、寛永一五年末に西の丸で八一歳で没するまで藩主を後見した(「阿淡年表秘録」など)。その頃の逸話家臣の西尾数馬と森甚太夫の録した「尊語集」三四箇条に伝えられる。その後は六代藩主となるはずの世子蜂須賀吉武が正徳五年(一七一五)造作をして入り、享保一〇年(一七二五)に三四歳で没するまで在国時に住んだのと、通称を御西の丸様といわれた一二代藩主斉昌が隠居後の屋敷として天保一四年(一八四三)に西の丸と御花畠の御殿普請をして入居した以外は、おもに公子・公女、連枝家の住居や藩士の文武修練の場として用いられた(阿淡年表秘録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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