西之平等学校所(読み)にしぬふいらがつこーじゆ

日本歴史地名大系 「西之平等学校所」の解説

西之平等学校所
にしぬふいらがつこーじゆ

[現在地名]那覇市首里儀保町一丁目

王府時代の中等学校。ニシヌフィラガッコージュとよぶ。首里三平等にそれぞれあった学校の一つ。現儀保ぎぼ一丁目と同三丁目の境、現首里赤平しゆりあかひら町二丁目に接する一帯と考えられている。

球陽」尚温王四年(一七九八)四月二一日条によると、この年国学の成立と同時に首里三平等にも平等学校所を設立した。資金は各平等から集め、学師一人を置き任期は五年で俸米は七石。また按司奉行・親方奉行を各一人、中取・筆者各二人を置いた。学校所創建時の嘉慶三年(一七九八)六月五日に翁都銓が中取職に任ぜられ(翁姓永山家家譜)、同四年一二月一日に向鴻基が奉行職に任ぜられている(向姓具志川家家譜)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本の株式の水準を示す、東京証券取引所第1部225銘柄の平均株価。単位は円。構成銘柄は時価総額の分布の変化などにより、適宜入れ替えられている。現在の形になったのは1985年5月からである。ダウ・ジョー...

日経平均株価の用語解説を読む