日本歴史地名大系 「西名東村」の解説 西名東村にしみようどうむら 徳島県:徳島市旧名東郡地区西名東村[現在地名]徳島市名東町二―三丁目・加茂名町(かもなちよう)東名東村の南と西に位置する。西を鮎喰(あくい)川がほぼ北流し、対岸は早淵(はやぶち)村。南は名東山の尾根で上八万(かみはちまん)村・下町(しもまち)村と境する。天正一三年(一五八五)蜂須賀家政入国当時の鮎喰川は当村付近から東流し、田宮(たみや)川と佐古(さこ)川の河道に連なっていたと考えられる。このため洪水時には川水が徳島城下を直撃することから、城下町建設と併行して当村南西端の僧都の鼻(そうずのはな)から北方に向けて堤防(蓬庵堤)が築かれた。慶長二年(一五九七)の分限帳、慶長期のものと推定される国絵図には名東もしくは名東村とみえ、近世初頭には東名東村と一村であったとみられる。正保国絵図には西名東村とみえ、高四一〇石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by