日本歴史地名大系 「西坂田村」の解説 西坂田村にしさかたむら 大阪府:羽曳野市西坂田村[現在地名]羽曳野市尺度(しやくど)喜志(きし)台地に位置し、蔵之内(くらのうち)村の南にあたる。弥生時代の尺度遺跡がある。古代古市郡尺度(さかと)郷(和名抄)の地で、集落の北方、現在の農林技術センター南門付近の小字鴨(かも)の周辺で八世紀の集落跡が発見された。「河内国西琳寺縁起」に載る「天平十五年帳」の「古市郡尸(ママ)度郷鴨里」にあたると考えられ、県犬養連弓足の本貫地であった。当村と東坂田・新家(しんけ)の三村はもと一村で坂田村を称していたという。正安元年(一二九九)七月一〇日および同月二三日の「坂田領家御下文」という貼紙のある二通の奉書(通法寺及壺井八幡宮文書)によれば、当時河内国坂田恒光名の年貢一〇〇貫の納入について、領家と預所職壺井五郎左衛門入道との間で紛議があったが、結局、まず当年分一〇〇貫を納め、翌年からは三〇貫を領家に納め、残りは預所得分とすることで落着している。また、興国元年(一三四〇)八月二一日の武者所牒(同文書)には「坂田福正名」がみえ、同六年三月一〇日の参議左大弁某家御教書(同文書)には「最浄光院領大覚寺宮庁管領分」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by