西奈弥羽黒神社(読み)せなみはぐろじんじや

日本歴史地名大系 「西奈弥羽黒神社」の解説

西奈弥羽黒神社
せなみはぐろじんじや

[現在地名]村上市羽黒町

山居さんきよ山の山頂に鎮座する。祭神は月読命・稲倉魂命・奈津姫命。朱鳥元年(六八六)臥牛がぎゆう山頂に初めて祀られたと伝えられる。「延喜式」神名帳にみえる磐船いわふね郡「西奈弥ニシナミノ神社」に比定する説もある。慶長三年(一五九八)村上頼勝が築城の際臥牛山中腹の通称二本松にほんまつに遷された。寛永一〇年(一六三三)堀直寄が城郭を拡張する際再び羽黒町の南方丘陵上の現在地に遷され、松樹一千本を植樹したことから千松山せんしようざんと称したという。近世は羽黒大権現とよばれ、村上の総鎮守であった。元和七年(一六二一)堀主膳は病気平癒を祈り、岩船潟周辺の開発地二町余を寄進した(「同社領寄進状」当社蔵)。また慶安年間(一六四八―五二)には藩主松平直矩から領米一八石を寄せられた(「松平直矩寄進状」当社蔵)。享保三年(一七一八)の村上町明細帳(鈴木三氏蔵)によれば、末社として神明宮・春日宮・稲荷宮・八幡宮・愛染宮がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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