西子安村
にしこやすむら
[現在地名]神奈川区大口通・大口仲町・西大口・七島町・神之木町など
東子安村・新宿村ともとは一村で、中世は子安郷に属し、元禄国絵図には三村に分けて描かれるが、民家・耕地ともに入会って境界が明瞭でない。東海道に沿い、東は生麦村(現鶴見区)、西は神奈川宿に続く。
聖教奥書(県史二)に正応五年(一二九二)五月九日「子安郷住人某之子安郷讃」始がみえる。近世は幕府直轄領。元禄八年(一六九五)安藤重博により検地を受ける。天保六年(一八三五)の醤油粕絞請負人指定につき申渡請書(県史七)に、西子安村・東子安村などの百姓・名主が請印をしており、醤油粕絞が行われていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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