日本歴史地名大系 「東子安村」の解説
東子安村
ひがしこやすむら
東は
聖教奥書(県史二)によれば、正応五年(一二九二)五月九日から「武蔵国子安之郷住人某之子安郷讃」が始められている。建武元年(一三三四)五月一二日の裏書のある鶴見寺尾地図(金沢文庫蔵)に「子安郷」がみえる。一六世紀前半と思われる年未詳二月二一日の遠山直景書状(県史三)には「小安郷」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東は
聖教奥書(県史二)によれば、正応五年(一二九二)五月九日から「武蔵国子安之郷住人某之子安郷讃」が始められている。建武元年(一三三四)五月一二日の裏書のある鶴見寺尾地図(金沢文庫蔵)に「子安郷」がみえる。一六世紀前半と思われる年未詳二月二一日の遠山直景書状(県史三)には「小安郷」とある。
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