西小倉村(読み)にしおぐらむら

日本歴史地名大系 「西小倉村」の解説

西小倉村
にしおぐらむら

[現在地名]桐生市川内町かわうちちよう二丁目

小倉川右岸の谷間に位置し、西は下仁田山しもにたやま村・須永すなが村、東は小倉川を隔てて東小倉村。中世には須永御厨に含まれ、「法然上人絵伝」に「酒長の御厨小倉の村」とみえる。江戸初期には東西に分立していず、寛文郷帳によると小倉村の高五九一石余、うち田方二七三石余・畑方三一七石余、館林藩領。天和二年(一六八二)の分郷配当帳では西小倉村とみえ、高三六七石余、旗本池田領。近世後期の御改革組合村高帳でも同高、同氏領、家数四二。明治一〇年(一八七七)頃の家数九四(うち社三・寺一)・人数四二四、牡馬一〇・舟一。生業は農・桑業七六戸、商業八戸、工業六戸、雑業四戸で、農業のかたわら養蚕・機業に従事し、繭八〇石、生糸三八貫余、織物一千三〇〇反を産した(郡村誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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