西尾張部村(読み)にしおわりべむら

日本歴史地名大系 「西尾張部村」の解説

西尾張部村
にしおわりべむら

[現在地名]長野市大字西尾張部

東は北長池きたながいけ村と境し、西は北高田きたたかだ村と境し、南は南長池村・南高田村水路で境し、北は東和田ひがしわだ村と水路で境する。善光寺の東方にあって、水田地帯であった。村名は「和名抄」記載の水内みのち郡尾張(乎波利倍)郷によるものか。

永禄一一年(一五六八)一〇月二日の武田信玄の島津孫五郎あての宛行状(島津文書)に「一、西尾張辺 百貫」とあるのが初見。天正六年(一五七八)の諏訪社上社の上諏訪造宮帳に「前宮四之御柱 北高田郷八貫文 西尾張辺郷七貫文」とあるように西尾張辺とも記す。この頃北に接する北尾張部と分離して二村になったものと推定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む