朝日日本歴史人物事典 「西川貞二郎」の解説
西川貞二郎
生年:安政5.4(1858)
明治大正期の商人,漁業家。井狩只七の次男。近江(滋賀県)八幡町の西川家の婿養子となり,西川伝右衛門家10代当主となる(「伝右衛門」名は襲名していない)。名は,あるいは「さだじろう」か。初代伝右衛門は荒物行商から身を起こし,慶安3(1650)年松前へ渡り,城下小松前町に開店,両浜組(近江商人団)の一員となり漁場請負となる。3代伝右衛門は寛延・宝暦(1748~64)ごろ,茂入・祝津場所(余市・小樽市)を請け負い,廻船も数隻有して漁獲物を直接上方へ運び取引した。貞二郎のころは,西川家は忍路・高島場所(小樽市)の請負人としておおいに繁栄し,明治2(1869)年場所請負制廃止後も建網20数カ所で漁場経営を継続した。明治期には他業種へ積極的に展開し,中一商会,大阪商船株式会社,大日本帝国水産株式会社の設立にかかわり,八幡銀行の初代頭取となる。場所請負人の多くが明治期に漁業から撤退したなかで,西川家が大正期まで漁業経営を継続できた要因は,近江の拠点の維持と船の所有の継続にあったと考えられる。<参考文献>「西川家文書」(小樽市博物館・滋賀大学経済学部付属史料館・滋賀短大図書館蔵)
(中西聡)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報