西敷屋村
にししきやむら
相須村の西北方に位置し、熊野川の支流篠尾川の谷口の小平地に集落がある。古くは熊野川南対岸の東敷屋村とともに司喜屋(敷屋)と称したと考えられる。弘安元年(一二七八)一〇月日付の敷屋庄司兼能・本預光俊連署寄進状(西福寺文書)によれば、敷屋庄司兼能らが水田一段を西椒庄西福寺(現有田市)に寄進している。敷屋庄は熊野本宮社領であったと推定され、兼能は当村妙見社の長享元年(一四八七)の棟札(「続風土記」所引)にみえる司喜屋総領紀兼吉と同じ紀氏と考えられる。なお中世頃の熊野本宮の神領覚書(「熊野三山経済史」所収)によると「三里敷屋村」の八〇〇貫が源頼朝より本宮に寄進されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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