西
江村
にしさばえむら
[現在地名]鯖江市本町二―四丁目・桜町一―三丁目・住吉町一丁目・同三丁目・長泉寺町一丁目・屋形町
日野川の東岸にあり、南は上鯖江村、北は長泉寺村、東は東鯖江村に接する。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では今南西郡に「鯖江村」(高四三一八・七五石)がみえ、これは東・西・上の鯖江村を含む。正保郷帳から西鯖江村となり、田方八一〇石余・畠方一〇一石余。元禄郷帳は西鯖江村の枝村として有定村(高三六一石余)を記す。貞享三年(一六八六)福井藩領より幕府領となる。同年当村に幕府代官所が置かれ、勝山代官所(跡地は現勝山市)とともに越前国幕府領二六万石を分治した。享保六年(一七二一)間部氏の入封とともに代官所は廃され、その跡に間部氏陣屋が置かれた。
西江村
いりむら
[現在地名]伊江村西江上・西江前
伊江島の西半を占める。島内で早くに開発された東江の西に順次開けていった地と考えられる(伊江村史)。琉球国高究帳には「いるい村」とある。「琉球国由来記」には「西江大屋子」「西江掟」「西江目指」などの役職名がみえ、「琉球国旧記」に西江邑とある。一八〇〇年の手札改時の人数は男が六二二人。この内訳は主三六・オエカ人四・赤頭九・老人四七・正頭三五六(うち流刑人一・下人二)・童一七〇で、ほかに又内一四(うち流刑人一)。女は六二二人で、この内訳はノロクモイ二、主とその妻三三、オエカ人妻四・老人五七(うち流刑人一)・正頭三八一(うち下人一)・童一四五。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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