西油木村(読み)にしゆきむら

日本歴史地名大系 「西油木村」の解説

西油木村
にしゆきむら

[現在地名]油木町油木

帝釈たいしやく川を挟んで新免しんめん村の南に位置する。西は福桝ふくます川で永野ながの(現神石町)に対し、東は東油木村。東部を東城路が通る。正平一七年(一三六二)一二月一七日付足利直冬感状(山口県文書館蔵文書)に「為凶徒退治、馳参備後国由木宮内陣迄了、(下略)」とある。宛先は内田肥前守代。内田氏は芦田あしだ郡の土豪と思われ、相方さがた(跡地は現芦品郡新市町)に居城していたらしい(芦品郡志)。直冬は観応の内訌以後、足利尊氏・義詮に対抗していたが、この時には南朝方と手を組み、石見から備後に入り、北朝方の宮下野入道を攻めて敗れている(「太平記」巻三八「諸国宮方蜂起事付越中軍事」)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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