日本歴史地名大系 「西津留村」の解説 西津留村にしづるむら 福岡県:山門郡大和町西津留村[現在地名]大和町六合(ろくごう)鷹尾(たかお)村の北、矢部(やべ)川右岸にある。対岸は東津留村(現瀬高町)。鷹尾城主田尻親種が築いたという支城の一つ津留(つる)城を天正(一五七三―九二)の頃津留因幡守が守っていた(南筑明覧)。城内(じようね)・城内小路(じようねしゆうじ)・北城(きたじろ)・鮎堀(あゆぼり)などの小名が残っている。中世から近世前期までは東津留村と一村で津留村と称し、矢部川左岸に位置していた(瀬高町の→東津留村)。 西津留村にしつるむら 福岡県:甘木市西津留村[現在地名]甘木市牛鶴(うしづる)牛鶴村の西に位置する。下座(げざ)郡に属し、西は屋永(やなが)村。江戸時代は初め福岡藩領で、元和九年(一六二三)秋月藩領となるが、寛永一三年(一六三六)の福岡・秋月両藩の御内証替によって福岡藩領に復した。慶長石高帳に村名が載り、慶長七年(一六〇二)の検地高五五石余、うち大豆三二石余。元禄五年(一六九二)には高七一石余・反別七町八反余、家数六・社一、人数四一(田圃志)。石高書上帳案の郡帳高も七一石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by