西深村(読み)にしぶかむら

日本歴史地名大系 「西深村」の解説

西深村
にしぶかむら

[現在地名]一宮町西深

揖保いぼ川上流右岸に位置し、南西深河谷ふかだに村、対岸福知ふくち村・生栖いぎす村。領主の変遷は延宝七年(一六七九)まで西安積にしあづみ村と同じ。同年幕府領(「本多家譜」東京大学史料編纂所蔵など)、明和三年(一七六六)頃から寛政三年(一七九一)頃まで三日月藩預地(西深区有文書)、以後幕府領として幕末に至る(旧高旧領取調帳など)正保郷帳に村名がみえ、田方一四八石余・畠方四四石余。文化一四年(一八一七)の村明細帳(西深区有文書)によれば田八町六反余・一四六石余、畑八町一反余・四七石余、百姓持山七ヵ所・秣場茅草山四ヵ所、家数三五・人数一四六、牛一四、宮一があり、猟師鉄砲一・威鉄砲二、稲は早稲裏作は麦、畑作五穀のほか蕎麦・煙草など、庄屋給は持高一石に米一升。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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