西石曾根村(読み)にしいしぞねむら

日本歴史地名大系 「西石曾根村」の解説

西石曾根村
にしいしぞねむら

[現在地名]村松町石曾根いしぞね

愛宕原あたごはら扇状地とその北西部を占め、北側は低湿地。東は東石曾根村木越きごし(現五泉市)、西は千原ちわら村。本村ほんそん越中えつちゆう新田・本田屋もとだい本久ほんきゆうの総称。年不詳六月二三日の長尾為景書状案(小田切氏文書)細越ほそごえ(現東蒲原郡三川村)の小田切弾正忠に対して知行を安堵した地に「菅名庄内石曾祢条」がみえる。寛永一九年(一六四二)村上藩主堀直定の叔父直時領、正保元年(一六四四)直時の子直吉の村松藩領となって明治に至る。正保国絵図に高一千七石余。天保郷帳では一千三七三石七斗余で、開発は漸次北に向かって進められたと思われる。西の越中新田に真言宗醍醐派眼尚がんしよう院がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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