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平安後期の歌人。没年は不明だが、1182年(寿永1)には生存。大夫公(たゆうのきみ)とよばれた。歌人源俊頼(としより)の子。幼少時に東大寺に入り僧となる。1151年(仁平1)ごろ成立の『詞花集』に1首入集し、すでに歌人としての名があった。60年(永暦1)清輔朝臣(きよすけあそん)家歌合に加わり、この後多くの歌合に出詠、歌壇で活躍した。その白川の僧房を歌林苑(かりんえん)と名づけ、歌会や歌合をしばしば催し、源頼政(よりまさ)以下多くの会衆が参じ、このグループは平安末期歌壇で大きな存在となった。鴨長明(かものちょうめい)も俊恵門である。また『歌苑抄』『歌林抄』などの撰集(せんしゅう)(散逸)も生み出された。家集に『林葉和歌集』(1178、79年ごろ自撰か。約1000首所収)がある。静寂美をたたえた穏やかな歌風である。
[井上宗雄]
夜もすがら物思ふころはあけやらで閨(ねや)のひまさへつれなかりけり
『簗瀬一雄著『俊恵研究』(1977・加藤中道館)』
平安末期の歌人。没したのは1191年(建久2)1月以前か。源俊頼の子。母は橘敦隆女。通称は大夫公。若いころ東大寺の僧となった。歌合への出席は1160年(永暦1)清輔朝臣家歌合を初めとし,79年の右大臣兼実歌合に至る。白川の彼の僧坊を歌林苑と称し,源頼政,二条院讃岐ら多くの歌人が参集,平安末期歌壇で一大グループを形成した。《歌苑抄》等多くの私撰集が編まれた。鴨長明はその門。家集に《林葉和歌集》がある。流麗な声調を重んじ,穏やかな歌風である。〈夜もすがらもの思ふころは明けやらぬねやのひまさへつれなかりけり〉(《千載集》)。
執筆者:井上 宗雄
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(渡部泰明)
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