西禅院
さいぜんいん
[現在地名]高野町高野山
宝城院の南、壇上伽藍の北、谷上の入口にある。本尊正観音は行基作と伝える。別格本山。「続風土記」は当院の過去帳(諸院家析負輯)によって開基を泉勝とするが、一説には平安時代末期明寂の開基ともいう。これは鎌倉時代の信堅院号帳に「最禅院 明寂上人之建立也」とあることによる説だが、この最禅院と西禅院が同一かは不明。文明五年(一四七三)の諸院家帳には谷上院道北の諸院中に西禅院がみえるから、この頃からは現在地にあったらしい。学侶方で、前掲析負輯には長秀の時、尊勝院・阿弥陀院・西禅院を併せて中通となり、のち覚運(慶安三年没)の時に上通となったとある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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