西茅原村(読み)にしちわらむら

日本歴史地名大系 「西茅原村」の解説

西茅原村
にしちわらむら

[現在地名]鶴岡市茨新田ばらしんでん 西茨新田にしばらしんでん

道地どうじ村の南、砂丘東側にある。道寺山どうじやま館主佐藤左衛門五郎広明が武藤氏滅亡後帰農、当村を開発したといわれる(西郷村史)。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録に茅原村とみえ、高六三石余。寛永元年庄内高辻帳では千原ちわら村とあり高一〇〇石余。正保郷帳では茅原村とみえ田高九五石余・畑高四石余、新田がある。天保郷帳では西茅原村。用水は砂丘の湧水を集めた千本せんぼん堤、西茅原大清水を用いていたが正保(一六四四―四八)頃には飛砂によって埋没

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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