西観音寺跡(読み)にしかんのんじあと

日本歴史地名大系 「西観音寺跡」の解説

西観音寺跡
にしかんのんじあと

[現在地名]島本町山崎

椎尾しいお山の南麓の谷間にあった天台宗寺院。慈悲尾山信善谷と号し、本尊は十一面千手観音。俗に谷観音ともよばれた。当初は南西方山間部にあり、天平年中(七二九―七四九)行基が聖武天皇の念持仏である観音像を本尊として開いたのに始まるという。寛弘年中(一〇〇四―一二)一山焼失したが、仁平四年(一一五四)河内の豪族八戸重忠が再興したといい、後鳥羽上皇も本尊への信仰あつく、度々水無瀬みなせ殿から参詣したと伝える。建長四年(一二五二)六月二二日の西願寄進状(山城西観音寺文書)に西観音寺とみえ、同寄進状に、当寺の木材山「上寺山」は、後鳥羽上皇菩提のため、女院(修明門院か)によって寄進された地であるとみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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