西豊井村(読み)にしとよいむら

日本歴史地名大系 「西豊井村」の解説

西豊井村
にしとよいむら

[現在地名]下松東柳ひがしやなぎ一―二丁目・大手町おおてまち一―二丁目・栄町さかえまち一―三丁目・北斗ほくと町・うえ中市なかいちの各全域、および古川ふるかわ町の一部と旗岡はたおかの大部分、および大字西豊井

鷲頭わしず山の西方切戸きりと川河口流域に開けた村で、東南は東豊井ひがしとよい、東北は河内こうち西北末武下すえたけしもの各村。徳山藩領に属する。

中世後期には隣村の東豊井村を含めて豊井郷・豊井保などとよばれ、近世前期の検地帳にも豊井保として記載される(→東豊井村。東西に分村して高付されるのは「地下上申」が早く、西豊井村の総石高は二千四四三石余と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む