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西遼 せいりょうXi-liao; Hsi-liao

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

西遼
せいりょう
Xi-liao; Hsi-liao

12世紀初めから 13世紀初めまで中央アジアにあった国家。 1124年に西走した遼 (→契丹 ) の王族,耶律大石 (→徳宗) が中央アジアに侵入して建国した。イスラム史料ではカラ・キタイといい,「黒い契丹」の意味である。首都はチュー川流域のベラサグン。この国は中国化された遼の王族が建てたので,中国式の行政組織が採用され,年号が用いられ,廟号が立てられるなどしたが,実際にはそれらは形式的なものにすぎず,先住民には無関係のものであった。 1218年にチンギス・ハンに滅ぼされた。

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百科事典マイペディアの解説

西遼【せいりょう】

カラ・キタイ

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大辞林 第三版の解説

せいりょう【西遼】

遼の王族耶律大石やりつだいせきがカラハン朝を滅ぼして建てた国(1132~1211)。東西トルキスタンを支配したが、トルコ系のナイマン部に国を奪われた。カラキタイ。黒契丹。 →

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

西遼
せいりょう

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世界大百科事典内の西遼の言及

【カラ・キタイ】より

…1132‐1211∥12年。西遼ともいう。中国の一部をも領有した遼王朝の王族の出身者である耶律大石(やりつだいせき)が1132年,東カラ・ハーン朝の首都ベラサグンを占領して建国。…

※「西遼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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