日本歴史地名大系 「西銘間切」の解説 西銘間切にすみまぎり 沖縄県:宮古諸島平良市東仲宗根添村西銘間切平良市南東部の東仲宗根添(ひがしなかそねそえ)の東部から城辺(ぐすくべ)町長間(ながま)の北部一帯を称したとされている。雍正旧記と宮古島記事仕次に西銘間切、「球陽」と宮古島記事仕次に「西銘郡」とみえ、西銘・オワテ・片手・イコム・キヤケの五ヵ村があったという(「球陽」尚敬王一一年条、雍正旧記)。西銘間切と対峙した石原(いさら)(伊佐良)間切は、「球陽」などで民俗方位に基づき西隣にあったと記すが、石原城遺跡は北に位置する。西銘グスク・サガーニ遺跡・飛鳥(とうぶとうい)御嶽の遺跡、山川(やまがー)遺物散布地(現城辺町)はかつての西銘間切の村々跡と考えられる。西銘グスクは炭焼長者伝承の地で、野崎(ぬざきい)村長井の里(ナカイザトゥ)の真氏は神告により炭焼太郎と結ばれ、のち太郎は嘉播親を名乗って西銘村の主となったという(宮古島記事仕次・雍正旧記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by