西銘村
にしみむら
[現在地名]久米島町西銘
具志川間切のほぼ中央に位置し、北は上江洲村。地形は東西に長い。具志川間切内で最も早くに形成された集落と伝え、村内の新垣は「おもろさうし」巻二一の八四に「一 あらかきにおわるま物(新垣におわす真物)/世のぬしのま物(世の主の真物)/又 よさのくわは なしよわちゑ(良い子を産みたまい)/はつのくわは なしよわちゑ(初の子を生みたまい)/又 ともゝそのいくさ(十百人の軍勢)/やもゝそのいくさ(八百人の軍勢)」とあり、新垣の世の主の初子は一千―八〇〇人の軍勢にも勝抜く子だと予祝して謡っている。一六世紀末―一七世紀初頭頃の事実を反映したものと推定されている西銘村名寄帳(上江洲家文書)に、西平・新垣・大原・上江洲など村内に比定される地名がみえる。絵図郷村帳に西目村とみえる。琉球国高究帳でも西目村とみえ高頭七五六石余、うち田五二八石余・畠二二八石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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