日本歴史地名大系 「見広村」の解説 見広村みびろむら 千葉県:海上郡海上町見広村[現在地名]海上町見広(みひろ)蛇園(へびそね)村の北方、西に椿(つばき)新田が広がる旧海食崖上に立地する。多古銚子(たこちようし)道が通る。中世は三崎(みさき)庄横根(よこね)郷内であったとみられ、永禄期(一五五八―七〇)島田三河守が居城したという見広城の跡とする要害(ようがい)山には土塁・空堀とみられるものとともに枡形(ますがた)・堀添(ほりそい)などの地名が残る。天正一八年(一五九〇)木曾義昌領になり、同年と推定される一二月一二日の木曾義昌知行宛行状(千村家文書)に「箕広」とあり、当所六六貫文を千村良重の代官支配としている。この村名表記は元和九年(一六二三)の蛇園村普門院本尊宮殿板書(普門院蔵)でもみられ、地名の由来を示唆していると思われる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by