日本歴史地名大系 「見里村」の解説 見里村みざとむら 鹿児島県:大島郡住用村見里村[現在地名]住用村見里東中間(ひぎやなはま)村の南東に位置し、北部を川内(かわうち)川が流れ、内海に注ぐ。住用(すむゆう)間切のうち。古里(ふうさと)に対して新たに開かれた集落を新里(みいさと)と称するが、見里はその転訛という。「大島私考」に住用間切一五ヵ村のうちとして「見里村」とみえ、高五一石余、うち享保内検後の開地は四斗余。当地に東(ひぎや)間切清水(すいす)村(現瀬戸内町)出身当済の四男で父と同名を名乗った英傑当済の墓がある。 見里村すんばるむら 沖縄県:沖縄島北部大宜味村見里村[現在地名]大宜味村田嘉里(たかざと)東シナ海に注ぐ屋嘉比(やはび)川(現在の田嘉里川)の下流域に立地し、上流は親田(うえーだ)村。絵図郷村帳・琉球国高究帳に村名はみえないが、「琉球国由来記」には国頭(くんじやん)間切見里村と記されており、康熙一二年(一六七三)の田湊(たんな)間切(のち大宜味間切と改称)設置後に屋嘉比(やはび)村から分離したとされる。同三四年以後の間切所属の変遷は屋嘉比村と同じ。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by