親ヶ谷古墳(読み)おやがだにこふん

日本歴史地名大系 「親ヶ谷古墳」の解説

親ヶ谷古墳
おやがだにこふん

[現在地名]垂井町市之尾 深谷

清塚きよづか古墳の北西、標高一九三メートルの丘陵頂上部に立地。墳丘は直径二六メートル、高さ二・五メートルを測る円墳か、あるいは前方後円墳の可能性がある。墳丘には葺石がみられ、内部主体は南北方向に主軸をとる粘土槨であったと考えられる。明治一一年(一八七八)盗掘を受け、その際に粘土槨の北端から木箱に納められた状態で、鏡・石製品・玉類などが朱に埋まって出土したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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